感覚は十人十色。

90後半の祖母が急性大動脈解離で入院中。
なんとか薬で血圧が下がり、これなら年内に退院も見えるかも?という時に、胸にたまっていると言われていた水が多すぎて肺を圧迫。
一時は呼吸が止まる緊急事態に。

母と毎晩そんな会話をしていて、圧倒的に感覚が違うことが分かった。
私は命に対して執着が圧倒的に少ない。

それは人に対しての執着が少ないのともイコールで、祖母に対しても
「もう十分生きただろう、周囲も苦労するし(父と母はいつもグチを言っている)もういいのでは?」と思う。

母は(多分それが普通で)彼女に対して、一分でも一秒でも、今のこんな状態でも、たとえどんなに今後手がかかっても、長生きしてほしいと思っている。

この一つの事象に対する感情の雲泥の差に、私は
「あまりにも愛情が希薄な人間で、どこか欠陥があり、これは人に劣っている部分に違いない。何か壁を越えれば、私の中から愛情はあふれてくる(今は欠陥中)に違いない。」と思っていた。

が、プラスが良いと思うから、マイナスとして見えて=血も涙もない欠陥人間である、と思えるのであって、これは単に人と違うだけで、私の個性ではないか?(あんまり良いようには取られにくくはあるけれど)と思うようになった。

熱くないから、人からは理解されにくく、好かれにくいだろうけど、仕方ない。
自分だけでも、自分を受け入れてあげようっと。

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