わたしにとっての沖縄*再開48歩目

那覇空港

もう沖縄から帰ってきて10日・・・
沖縄に行ったことで、
わたしの中で一区切りついた気がする。

沖縄はわたしの実父の生まれ故郷。
彼は今、千葉に住んでいるけど、
戦争が終わって、紆余曲折あって、横浜に住んでいたことが長い。

その時にわたしが生まれて、
離婚したから、
わたしがあったのは幼稚園のころが最後。
それ以降は母が会わせることを拒んだから。

10年くらい前に「会わなくちゃ」と思って、
色々調べて、横浜の住所にたどりつき、
手紙を出してみたけど、音沙汰なし。
わたしは拒絶されているんだと思ってた。

だから5年位前に彼から人づてに
「連絡取りたがってる」と聞いても
「うそー、だって手紙の返事ないじゃん」と思ってしばらく無視してた。

去年、彼と会って話しをしてみて、
手紙のことが一言も出てこなかったので、
たぶん、その住所に住んでいる家族の誰かが捨てたのだと思う。

やっと彼とあえて
(今は認知症が進んでしまって、話らしい話はできないけれども)
そして、彼のルーツ、わたしのルーツである沖縄に今年いけたこと。

わたしにとっては、
自分の根っこと繋がった感覚がとても強い。

今まで、何をしても心細かった。
いつも不安があった。
それは、自分が捨てられたことにも起因して、
いつも警戒していないと思い込んでいた人生だったからだ。

このタイミングで、
陽転思考という、わたしとっては大切な考え方を学び、
自分の足が沖縄の地を踏んだことで安定したから、
自我の脱皮のようなことができる準備が整ったのだ。

沖縄に行ったからと言って親戚に会えるわけでもなく、
お墓の場所も不確かだからお墓参りできるわけでもなく、
ただ、ひめゆりの塔に眠る伯母のことを考えただけで、
しっかりと手に入る結びつきは作れなかったのだけど、

それでもやっと、
わたしは実父から捨てられたときに戻って、
自分が必要だと思い、身につけた硬い殻を破る準備ができたのだ。

もちろん、
実父と会っただけでは、
陽転思考を身につけただけでは、
旅行にいける金銭的余裕がなかったから難しかった。

旦那さんが一緒に生活をつくっていくことに協力してくれるようになったから、
旅行に行くことができたのだ。
25年にして、大きな役割を果たしてくれた。
とても感謝しています。

どうぞこれから、
やっと動き出すわたしを見て、
自分たちがわたしを変えたのだと、
実感してもらえるように、
わたしはのびやかに、ほがらかに、変化していきたい。

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