自分のカラを打ち破れ!*再開22歩目

秋の1日

評価だだ下がりの人生

今の会社に入って、
いつの間にか社員も増えてきて、
一番長く働いていて、年功序列みたいな形式で一番エライ人だった私。

実際、態度ばかりエラソーで、
まったく実力が伴っておらず。

上からの期待には応えられず、
仕事を覚えてきた下の人の方が優秀になってきたとき、
私は自ら「降格」を申し入れた。

で、後から入ってきた人たちと、
みーんな横並びで
「いやぁ、責任感なくなって楽になった!」
と、思っていたら・・・

突然、
横並びの人たちに抜かれて、
いつの間にか私が【ランキング最下位】状態に!

納得いく部分もあれば、
やっぱり納得いかない部分もあり、

「しょせん、私は人嫌いだし、コミュ障だから、
作業や技術がいくらできても、
ウケが悪く、評価はダメで、
ほんと損な人生なんだなぁ~」

いつも同じ壁

思い返してみれば、
いつもそうで。

一人でする作業はとっとと判断して、
コツコツ仕上げて
誰よりも正確にできたりするけれども、

人間関係がからむと、
いきなり速度は遅くなり、
めんどうになり、
「イヤな仕事だなぁ~」と。

でも技術力だけはあるので、
「技術は立派だけど、認められないんだなぁ、不公平な世界」
いつも思ってました。

世の中、ほんとうにコミュニケーション能力が必要で、
それがなければ、
どんなにいい技術をもって存在していても、
丁寧にみてくれる懐の深い人がいなければ、
ちっとも輝けないもんです。

知能や技術ばかり付けるよう、
そしてそれは競争の中で誰にも負けないよう、
そんな風に育てられたことに、
今更ながら、教育法が間違っていて、

ほんとうに大事なのは、
もっとアナログな。

人の心を知って、
それを理解して、
共感し、愛情を注ぐこと。

競争ばかりしてきたもんだから、
周囲はいつも敵しかいなくて、
どうやったら出し抜けるか、
どうやったら蹴落とせるか、
としか周囲の人間を見ることができなくなってました。

いや、ほんと、異常なまでに。
競争社会ってこわいし、
元々自分の存在価値を認められないというトラウマのある子どもが
そんな学生生活に突っ込まれたところも不幸だったとしかいいようがない。

で、いつもこのアナログな、
人の気持ちを理解しようとする回路がちっとも働かない
ゆえに、いつもダメな人と分類されるという繰り返し。

間違った陽転思考

今回、
下克上状態におちいったときに、
私も陽転思考を学んでいる一人として、
「あ、陽転しよう!いい機会!」と思いました。

でも、そこに自分のプライドのようなものが働き、
陽転方法を誤っていたのです。

よかった!
責任が軽くなった!
上の人ができたから、何でも相談して、判断してもらえる!

もう、上の人たちに会社をお任せしよう、
評価されないということならば、
会社にとって不要ということならば、
居させてもらえるだけ、よかった!

こんな状況の中、自分、よく耐えてがんばってる。
今日も耐え切れてよかった!

・・・これって。
逃げてるだけなんです。
ぜんぜん前向きじゃないの、後ろ向き。

でも、
陽転できた!
すごーい、やった、乗り越えた!
と、思い込んでました。

壁の突破方法

今日、ボーナス前の評価面談をして、
ちょっぴり自分の思っていた評価と違うことが分かりました。

キミはできない、
という意味で差をつけたのではない。
この差を見て、
次に上がろうとするかはキミの意志次第。

意志次第だけど、
期待している。
一番最初から、キミに期待していた通り、今も期待している。

それで「あ?え?あなたどこの会社でも転職すれば?」じゃなかったのね、
と初めて知りました。

あ、まだ期待されてたんだ?

でも、難しいよな、
私、求められてるアナログな愛情分野がめっちゃ薄いし。
こんなに技術できてもな~
そこ求められてないし。

それに対して、ボスから言われたのが、
「自分は足りないと思ってたら、いつまでも足りない
だから根拠のない自信を持って、
理由のない自信を持って、
【私は愛いっぱいの人生を送る】と設定しなさい。」

えー、だってー。
ないものはないしー。

「嘘でもいいんです」

最近、私、よく思ってたんだ。
営業の世界って、ハッタリだらけだなぁ~って。
よくもそんな風にパッケージキラキラにできるよなって。

事実を知れば知るほど、
パッケージの中は空っぽに見えてきて、
周囲の人の手ごまの方が完璧に見える。
だけど、それ言ったら、自分のモノは一個も売れない。

私は正直でいることが大切だと思ってた。
ぜんぜん飾らず、
ありのままをバーンって伝えることが親切なことだと思ってた。
だって、真実なんだもん。

だけど、それは、相手がマシンの場合のみ有効なんだって、
最近ようやく分かってきた。

人って、真実を受け取りたくない場合もあるんだな。
そんな時にストレートに真実を言うと、
みんなから嫌われるんだな(今までそうだった)

だから、嘘をついても、
根拠のない自信を持って、
人だらけの中に飛び込む努力をすればいい。

マイノリティのくやしさが分かる人に

じゃあ、
どうして私がこんな苦しさを背負って、
この部分を乗り越えなくちゃいけないのか?

たぶん一生引きこもりの生活も選べた。
日々、最小限の会話だけ生身の人間として、
あとはPCさえあれば、満足できる生活。

私があえて、自分を荒野に立たすのは、
マイノリティのくやしさが分かっているからだ。

人との暖かい交流から排除され、
人と心を通わせる経験もなく大人になり、
なんとなく孤独感や、疎外感を感じながら、
今も苦しい中、生きている人たちのくやしさがわかるからだ。

そんな人たちに会うと
「すっごーく、わかる!!」って思う。
人生勝ち組のひとの気持ちは分からないけど、
そんな風に痛みを抱えている人の気持ち、すっごく分かる。

でも、私がそこを脱出していないと、
共感どまりなのだ。
結局一緒に路頭に迷うことになる。

そうじゃなくて、
自分が道しるべになるためには、
脱出して、
体感して、
「こっちのが楽しいよ!」と言えないと。

ここから踏み出すのは怖い。
知らない場所に自分を連れ出すのだから。

周囲の人はナチュラルにできているのだから、
まったく自分の参考にはならない。
自分で自分の道は探さないといけないし、
まっさらな道を歩く自分を励ますのも自分しかいない。

でも、これはキッカケなんだ。
自分で自分に与えるキッカケ。

足りないから考える。
満ち足りている人にはわからないこと。
足りてない人だけが理解できる世界。

そこから満ちている世界へ、
こわくても、
半歩でも、
踏み出すことだ。

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