自分を捨てること

秋の桜

今日、ボランティアに行った帰りにみつけた桜。
この時期の桜らしく、小さめだけど、ほんのり桜の香りがするような風があたりに吹いてた。

そういや、私はピンクがどうしても受け入れられなかったのだと思い出した。
だから、桜でも、大島桜のようなまっ白なものが(おおよそ桜らしくなく、リンゴの花みたいだけど)スキだったのだ。

でも、いつの間にか、その障壁を越えていた。
みずからピンクを選ぶことも多くなった。
濃い色のピンク(フューシャとか)をまず選ぶようになり、いつの間にか薄いのも選べるようになった。

短い髪にすると子供っぽくなるからしないとか、
腕を出さないよう長袖を着るとか(これは今となっては何にこだわっていたのかナゾ)、
以前の私はさまざまなこだわりがあり、何かそれが自分の印みたいに思ってた。

こだわりを捨てることは世界を広げること

だけど、そんなこだわりを一旦捨ててみると、
短い髪は今までで一番周囲の人のウケがいいし、
暑い時期に長袖しか着れないのはバカみたいだったし、
ピンクを身につけてる自分も、ピンクを身につける女性達も、なんかいいなって思えてる。

捨ててみると、なぜそこにこだわっていたのか分からない。
同時に、捨ててみても、やっぱり自分らしさというは何かの中にあって、
そんなに声高に主張しなくてもいいものだって分かった。

そしたら、人に対してずいぶんと柔らかくなったと思う。
正解が一つしかないと思っていたところから、抜け出せた。

すると、新たな挑戦ができるようになった。
何かを受け入れると、新しい選択の幅が広がるんだなって分かった。

今までの自分は「声高に主張しないと生き抜けない」と感じてた。
常に生きにくさを感じていたし、それは周囲との戦いの中で自分の位置は勝ち取っていくものだとばかり思ってた。

生きてくことは戦いじゃない

私にとっては、生きていくことは生存競争でしかなかった。
親権者のごきげんを取っていないと捨てられる恐怖がいつも無意識にあった。
だからこそ、誰よりも大声で叫び続けないと死んでしまうと思っていた。

バカみたいだけど、
でも、小さな私が身につけた生きていくための技だったのだ。
自分のことだけど、なんていじらしい。

自分の考えている「思考回路」をちょっとずつ冷静に見つめられるようになったとき、私は愕然とした。
人と比べることで、自分に「●●さんより優れているから生きていい」って許可を与えてたから。

よくスピリチュアルな世界の人が「みんな違ってみんないい」なんて言うけれども、
言葉としては「そうかもしれない」と受け止めても、
周囲に人が発生すると、常に人と比べて優劣を自分につけている私がいて、
人を見下して楽しんでいる自分もいた。

そりゃ、人当たりもキツイでしょうよ。
当然のはなし。

自分を捨てること

そして今日は、その先の話を聞いてきた。
今の自分にできるわけないようなことだけれども、
努力してみよう、と思える、ちょっと先の課題だ。

それは「自分を捨てること」

選択の幅を広げるんじゃなくて、
誰かの選択を受け入れること。
そこに自分の意志を混ぜないこと。
純粋にその人の喜ぶ顔を見るために行動すること。

言うのは簡単、いつも通り。
だけど、何でもかんでもがそうだけど、
とにかく気の遠くなるような実践の果てにつかめるものなのだ。

今回のもの、つかめるのかな。
トホホ。

これも私にとっては陽転思考。
まずはやるって決める。ゴールを決める。
そして、目線をゴールからそらさない。
苦しければ苦しいほど、そらさない。

自分が変われるかどうかは、自分の選択でしかない、誰も私を良い方向に変えてくれない。
もしそんな出来事があるにしても、待っていたら死んでしまう頃にやってくるかも。
ならば自分から今、つかみに行けばいいんじゃん?って思う。

勇気、勇気。
もう私は自分で生きていける年で、戦闘しつづけなくても大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら、勇気を持ちたい。

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