奇跡講座 ワークブック編 126.私が与えるものはすべて、私自身に与えられる。

秋空

今日は「奇跡講座 ワークブック編」より126.私が与えるものはすべて、私自身に与えられる。

今日のレッスンは
「そうだよな~私はいつもここ止まりだ・・」と頭を抱えそうな話です。

もしこうしたことが本当なら、赦しは頼みにできる確実な根拠はないということになる。
それは、時折あなたが寛大になり、刑の執行を不当に猶予してみることを選ぶ、という奇行である。
しかも、その罪人が罪に対する正当な償いを怠らないようにさせる権利を、あなたはもち続ける。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編 W-pI.126.5:1より

赦しは高い位置から低い位置に流れるものではない。
同じものである、
私は何らひとつのものから分離していない、と認識するもの。

言葉では理解できていても、
なかなか心は理解せず、行動では受け入れていない。

難しいけれど、そうじゃない。

今、とてつもなくやりたくないことをやる環境にいるけれども、
これがイヤじゃなくなったとき、
私はある一つの部分を受け入れることに成功したのだろう。

それでもまだ全体ではなく、部分ではあるけれども、
少し進んだという感覚はもてると思う。

聖霊に委ねる。
自我が先に立つから、気分を先導するのだ。
自我の思っているルート以外を拒否して、気分がイヤになるのだ。

聖霊に委ねるということは、心を自由にできる、ということなのかも。
解放するとか、楽にしてあげるとか、手放してあげるとか、そういうこと。

私たちが聖霊の声を聞き取ることができますように。
私たちの選択を聖霊のものと一致させることができますように。

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