奇跡講座 ワークブック編 125.静けさの中で、今日、私は神の言葉を受け取る。

むらさきしきぶ

今日は「奇跡講座 ワークブック編」より125.静けさの中で、今日、私は神の言葉を受け取る。

静けさの中で、今日、私たちは神の声を聞く。
自分のつまらぬ雑念を侵入させず、個人的な願望をもたず、神の聖なる言葉をどのようにも判断することはしない。
私たちの本性を裁くことは不可能なので、今日、私たちは自分を裁かない。
世界が神の子に下したあらゆる裁きから離れたところに、私たちは立っている。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編 W-pI.125.3:1より

一つ楽になると、また別のことが頭をもたげてくる。
今はその人がキライで、できるだけ話をしたくないと思う。
できるだけ遠ざけたい。

そんな状況の中で今日のレッスンをやってみる。
神の声を聞く。

「その人が何をしようが、
何をしないでいようが、
その人の聖性にはまったく関係ない」

そうだろうなぁ。
この世界で何をしようが、関係ないことだもの。

過去のことにバカみたいにこだわっていて、
その過去の枠に相手を入れようとしているのは私だもの

ずっと前から思っているのは、
どうして記憶なんてものが私の邪魔をするのだろう。

便利に使えるとも言えてる。
記憶がなければ、アルツハイマー患者みたいになる。
昨日やったことを、また今日は一から学ぶことに。

どうしても人の上に記憶を持ってきてしまうなら、
私なんかよりも、よっぽど
良い記憶だけを重ねているアルツハイマーの人の方が神に近い。

ここがずっと乗り越えられない。
乗り越えると、かなり進むのだろうけれども、
ずっとずっとここだ。
手を変え、品を変え(というか、私の場合は人が変わるだけ)
いつもつきまとうのは、記憶が相手を赦せない。

ならば、その「赦せない」が出てくる前に、
神に助けを求めるといいのではないか?

何かを喋るときに、
脳に浮かんだものを喋るのではなく、
いったん頭の中で組み立てるように。

いったん小休止して、毎回、神に助けを求める。
反応は鈍くなるけど、バカなことではない。
今の出てきた自我の通りに自分を表現するほうがバカなのだろう。

神またはキリストというキーワード。
自分の頭にきちんととどまってくれますように!

私たちが聖霊の声を聞き取ることができますように。
私たちの選択を聖霊のものと一致させることができますように。

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