奇跡講座 ワークブック編 121.赦しが幸せへの鍵である。

秋っぽさ

今日は「奇跡講座 ワークブック編」より121.赦しが幸せへの鍵である。

赦そうとしない心は間違いを見ず、罪だけを見る。
それは見えぬ目で世界を眺め、自分自身による投影が浮かび上がり、自分という哀れな生命の真似事を攻撃するのを見て、悲鳴を上げる。
生きたいと思いながらも、死んだほうがよいと願う。
赦しを欲しているが、その望みはないと見ている。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編 W-pI.121.4:1より

私は本当にまだまだの人間で、
こんな風に思えるのは、今のいっときだけかもしれない。

それでも私は自分を振り返ることができる。
どれだけ周囲の人を罪人にしようとしてきたか。
その疑いが自分に降りかかることをどれだけ恐れてきたか。

恥ずかしながら、正しいことは一つだと思っていた。
人によって「正しい」は違うなんて、想像もしなかったし、
一つだと思っていたからこそ、想像する必要もなかった。
すべて自分の判断のみで善悪が決まっていた。

今、状況が良くて、今日のレッスンを行う時に
「嫌いな誰か」を思い浮かべるときに、
大して嫌いでもない人(良いところも沢山持っていて、認められる人)が出てきた。

以前は状況が違ったから「憎んでいる人」がいた。
しかもそれは毎日会う家族だった。

私は家族に対する赦しのレッスンを乗り越えられなかったのだろうけど、
きっとまた同様に苦しい機会が来るんだろうと思う。
もちろん、そんなこと全然望んでないけど。
誰かを憎みたいから憎む、なんて考える人はいない。

ただ、とにかく、赦すのは私だ。
他の誰でもなく、相手でもない。

自分が苛立っているとき、
明確に「赦したくない!」と思っているのが分かる。

赦せない、赦したくない理由を10も20も挙げ続けることができる。
そして、自分に同意してくれる人を集めようとする。

愚かだ。
ただ、自分が赦したくないだけなのに、
相手や周囲を巻き込もうとしている。

本当は相手も周囲もいない。
自分が勝手に赦さないと決めているだけ。

人と交流するとわざわいしか起きないから、
私は人嫌いなのだけど、
いつか、全く気にならない時が来るのかもしれない。

私たちが聖霊の声を聞き取ることができますように。
私たちの選択を聖霊のものと一致させることができますように。

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