奇跡講座 ワークブック編 100.私の役割は神の救済計画に不可欠である。

さくらんぼ

今日は「奇跡講座 ワークブック編」より100.私の役割は神の救済計画に不可欠である。

相変わらず毎時5分の実施が難しく、
昼間さっぱりできずに、夕方家に帰るときに思いだし、
そしてまた忘れ、眠りにつくときに「ああ」と思い出す。
を、繰り返しています。

もちろん「一日通しで、できる」のが一番良いのですが、
私はできなかった自分を責めることで、
取り組みそのものを投げ出したくなる傾向がとても強いので、
奇跡講座」については、自分に「いいよ、いいよ、少しずつで!」
とか、極力、自分が負担に感じないように操作しています。
それが私の場合の、自分を赦す、ということなのかもしれません。

今日、私たちは悲しまない。
もし悲しむなら、神の計画にとっても、私たちの心眼にとっても不可欠な役割を果たせなくなるからである。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編 W-pI.100.5:1より

誰かが亡くなったことについても、
悲しいでもなく、おめでとうでもなく(一部スピの考えでは後者になる)、
ただ心を揺さぶる出来事は起こってはいない、という風に受け止めたい。

もちろん、哀悼の意は表明するし、
亡くなった方の周囲の方の気持ちには寄り添えるよう努める。
その上で、大切なことだから、重大なことだからこそ、取扱いを間違えない。

「そっちは含むけど、これだけは除外!」なんてことはありえない。
神がすべての人を自分の子として愛するように。

家族との「特別な関係」に相変わらず縛られている私は、
どうにかしてこの感情をくぐり抜けたいと思う。
もうちょっとでできそうだけど、やっぱりできなーい!という現状。
死ぬまでにはなんとかしたいものだな。

私たちが聖霊の声を聞き取ることができますように。
私たちの選択を聖霊のものと一致させることができますように。

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