奇跡講座 ワークブック編 72.不満を抱くことは、神の救済計画に対する攻撃である。

たのしい気持ち

今日は「奇跡講座 ワークブック編」より72.不満を抱くことは、神の救済計画に対する攻撃である。

いつの間にかサーバーのMAX容量に来てますよ!という警告が来た。
ドメインは変えずに、URLは http://108star.net/ で運営したいなぁ~と長年考えているから、
ちょうどいい機会なんだけど、一気に作業しないと頭の中が混乱してしまう。

だから、長い時間の休みを待っていて。
でも、なかなか休みなんて来ないものですね~(汗)

ということで、容量制限にドキドキしながら、書いていて、
そういうドキドキも更新力を鈍らせていると思います。
あぁ、早く一気にやりたい!

このレッスンをやっていて思うのは、
忙しければ忙しいほど、不満を抱き、原因を自分以外に押し付けようとする自分の思考回路。

昨日もずーっと仕事していたのですが、
最近、週休1日が続いていて「また今週もかよ・・・」とこなしながらも、
ぐるぐる回るのは、この仕事が私のところに回ってきた原因であり、
誰かが仕事をサボって、私が尻拭いをしており、その人には仕事の能力がないのでは?という考え。

めちゃめちゃ不満なんすよ~!
その誰かはのんびり休みを取っているわけですから。
こんだけサポートしても給料変わりないんです。

・・・で、いかんいかん、と今日のレッスンに戻ります。
こういう不満を抱くこと、が、自分のみならず、相手をこの世界に縛り付けているといいます。

あなたは、肉体がもつ制限の数々から彼を解放するための助けとなることに失敗しているだけでなく、それ以上のことをしている。
あなたは彼のまとっている肉体を彼と混同し、両者を一つのものと判断することで、積極的に彼を肉体につなぎとめておこうとしているのである。
ここで神が攻撃されている。
もし神の子がただの肉体にすぎないのなら、神もまた肉体とならざるをえないからである。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編 W-pI.72.4:3より

ガーン!

つらいのは私なのに、
この不満を抱く気持ちが相手を攻撃していることになるし、
さらには相手を縛り付けていることになるし、
もっとさらには、神まで攻撃していることになるとは!

改めて、心の持つ力というのはすげーな、と感じる次第であります。

言葉遣いが今日はおかしいのですが、
それは多忙モードから心が戻ってきていないからです。。。

このくっそ忙しい中、
家では家族から
「家のローンのことはあなた一人で考えちゃって~オレしらねーし!」
みたいな超無責任発言が飛び出し、
「養ってやってんのはこっちだろー!売りたくねーって言うのもオマエなのに、何だよ、その無責任っぷりは!」
みたいなことで、かなりイライラするもんです。

だけどずっと、奇跡講座の今レッスンがチラチラしてるのです。
不満を抱きつつも「あれ?これって、ダメパターンじゃない?」って。

すごくかすかなキラッとする光なんですけど、確かにあるんです。
だから、私は戻ってこれるのです。

そして、まずは基本原則、この世界はない、という部分に立ち戻り、
「あー、結局、一人で原因作って、一人でジタバタして、一人でここに戻ってくるんだなー」としんみり。

そこで、この世界はない前提で、心の底から相手に謝り、
必要があるようならば、相手に言葉で謝って、
次にこの世界的な「じゃあ現実、行動は、どうすればいいのか?」にたどり着きます。

現実的に切羽詰るのは、追い詰められるのはキツいです。
だけど、きっと、自我の方も必死なんだろうなー。

私が自分の中にきちんと奇跡講座を神を受け入れ始めて、
ある程度、落ち着いているときならば、自我を跳ね返すことができるので、
自我的には、現実をめちゃくちゃにすることでしか、
私をそちらのほうに引き寄せることができないのでしょう。

面倒な状況になっちまったなー(汗)
神の使者でも、殺すほど、自我による攻撃がひどくなるってあったっけーなんて思いつつ。

自分の歩みは人と比べるものではありません。
そもそも比べて落ち込んだり、嬉しくなったりしても、それは自我が仕組んだもの。
そこから不満が生まれます。

ただ自分が少しの意欲を持ち続けているか。
歩み続けているのか。
それだけが神と自分の間に重要なことです。

私たちが聖霊の声を聞き取ることができますように。
私たちの選択を聖霊のものと一致させることができますように。

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