奇跡講座 ワークブック編 67.愛が私を、愛と同じに創造した。

小春日和

今日は「奇跡講座 ワークブック編」より67.愛が私を、愛と同じに創造した。

※66はサーバの調子がおかしく、アップできなかった原稿が会社にあるので後日アップです。

仕事が落ち着いて、やっとまともに考えることができるようになった。
目指すのは、仕事の忙しさに関係なく、いつでも神とともに在ることを考えること。
今の私のレベルでは難しいのであれば、仕方ない。
この自分を投げ出さないで、少しずつ進むだけだ。

外側にある人、モノ、出来事をスケープゴートにしないことも、
今ならば少しできている気がする。
こういう時は「できていない時」が見えなくなるので、
この状況を喜んで、楽しく過ごすだけだな。

体に痛みがある時は、それについて懸命に考えるけれども、
痛みがなくなったら、どんな痛みだったかとか、どこが痛かったのかすら忘れてしまう。
それと似たようなものだと思う。

愛があなたを愛と同じに創造したのならば、この自己はあなたの中にあるはずである。
そして、あなたの心の中のどこかで、それはあなたが見つけるのを待っているはずである。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編 W-pI.67.3:2より

パウロ・コエーリョのアルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)を思い出した。

今生において、私は相当スピ関係の分野を旅してみた。
あっちでも違うと感じ、こっちでも違うと感じた。
すべては自分の外側のものを変える、という考え方だった。

そして最終的にたどり着いた奇跡講座は、
一番大切なものは、外にあるのではなく、内にあるということがベースだった。

それが自分にとって「あ!これだ!」と思ったし、
実践していて、ちっとも身についていないと思いつつも捨てようと思わないし、
進んでなくても、焦らないし、ちょっとずつでも進めようと思えるもの。

この「自分の内側」という理論に到達するまでの、
あの莫大な遠回りはなんだったの?とも思うのだけど、
アルケミストを読んだときにも、一番大切なものを見つけるのに必要な過程だったにすぎない、と強く感じる。

あのくどくど長い回り道、
他人を押しのけて、この世界で一番になってやろうという強い野望、
そういうものがなければ、私はここにたどり着かなかったんだろう。

やっかいなものだけど、
そういう不器用なヤツなんだ。
仕方ない、それが自分というものらしい。

だけど、
これは今生の話であって、
私が記憶をなくしている過去生のことまで考えたら!
気が遠くなるような回り道の連続なんだろうな。
(覚えてなくて良かった)

過去の自分、過去生での自分も含めて、
今が決して至高の位置にいるわけではないけれども、
大きなエールを送りたい。

そして欲を言えば、
悟りに近づいている将来の自分からは、
もっともっとエールを受け取りたい。

自分しか自分を応援していない。
この世界には自分しかいないのだから。

私たちが聖霊の声を聞き取ることができますように。
私たちの選択を聖霊のものと一致させることができますように。

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