奇跡講座 ワークブック編 54.復習16~20

おわるもの、はじまるもの。

今日は「奇跡講座 ワークブック編」より54.復習16~20。

相変わらずペースはゆっくりで、忘れることも多いけれど、続けてます。
現実とのやりとりで「うえーっ」って、なってます。

頭の中でずっとぐるぐるしているのは、
「生きている」「死んでいる」それに重要な意味はあるのか?です。

生きていることが尊いことなのか、
そこにどれほどの価値があるのか、
そこにしがみつくべきなのか、が分かりません。

この世界では、生きることがとても重要視されていて、
私が違和感を感じたのが、重病の人が残りの人生を生きている、
そこに心を動かされる人が多いということ。

そういうこと、私も嫌いじゃないけど、
そんなに一生懸命に生きなくちゃいけないのか。

いつでも死ねる覚悟があるけれども、
この世界にどこまで入れ込んだらいいのか。

私にはまだ、入れ込んで入れ込んで、リターンを求めないということは難しい。
それならば、あらかじめ自分がリターンを求めないように、入れ込まない。

今はそんな風に暮らしていて、
だからこそ、入れ込んでいる人たちに違和感を覚えるというか、
お互いに理解しあえないんだろうな(それ以前の問題かもだけど)と思う。

全員が毎日の生活の中で努力はしていて、
しているのに見返りがあって満足している人と、
しているのに評価されない人もいる。
この世界って、何なんだろう?と思う。

どうして私は優劣を付けたがるのか。
自分のそんなところが本当にイヤ。
だからこそ、今、奇跡講座をゆるいペースでやっているのかもしれない。

ただ、私がこう考えているということは、
この世界にこう考えることもアリなんだろうな、と思う。
じゃなければ、私はこういうことを考えもつかないだろう。

私は自分の考えは共有されているということを認識し、ぜひとも真の見方で見るつもりだ。
世界の思考が変化したことを教えてくれる証拠を見たい。
私を通して行われたことにより、愛が恐れに、笑いが涙に、豊かさが損失に取って代わるのを可能にしたという証しを、私は見たい。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編 W-pI.54.5:2より

真の見方で見たい。
今はそう思い続けるしかないのだろう。

聖霊に真実を見せてもらいたい。

今日も私たちが聖霊の声を聞き取ることができますように。
私たちの選択を聖霊のものと一致させることができますように。

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