奇跡講座 ワークブック編 41.私がどこへ行こうとも、神が私とともに行く。

秋の空に並んで。

今日は「奇跡講座 ワークブック編」より41.私がどこへ行こうとも、神が私とともに行く。

拒否状態に近い状況なのかもしれない。
あからさまに「やりたくない!」と思う瞬間すらある。

このために生まれてきたようなものなのに、
それを拒否したくなるのは、
どうも「できないことが罪悪感を生んでいる」からのよう。

10分に1回とか、
できれば頻繁になんて言われても、
結局1日に2~3回しかできないことも多い。

そうなると、同じレッスンを次の日もやり、
その日もまた同じようにできなくて、
ずっと同じレッスンばかり繰り返す。

最終的にはつまらなくて
「どうせ私はここを突破できないんだ!」などと、
逆切れのような状態になって、投げ捨てたくなる。

・・・ということで。
できても、できなくても、
それなりに流していくことが私には必要なのかも。
自分ばっかり責めて(だって自分しかコレに関わってない)
1人で苦しくなってしまうので。

今日のワークも何日か続いている。
ブログを書けなかったせいもある。
体調が思わしくない、というのが理由だけれども、
体調だって、自己コントロールできるのだ、本当は。

しかし、問題が実在のものではないのだから、その結果が解決されるということはありえない。
今日の概念には、こうした愚かさのすべてを永遠に終わらせる力がある。
そして、どれほど深刻で悲劇的な形をとろうとも、それが愚かさであることは間違いない。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編 W-pI.41.2:3より

どれほど深刻なことだと思ったとしても、愚かさである。
なかなかそうは思えないけれども、思えたら心が軽くなる。
私が抱えている仕事上の問題も、プライベートな問題も、
実在のものではないから、解決されることはありえない。
すべては愚かさでしかない。

今日のレッスンは、瞑想をすることだけれども、
私の場合は、入眠剤になってしまって、まったく瞑想にならない(笑)

今日のレッスンをしていると、
心が軽くなり、リラックスしてしまうから、
そのまま心を研ぎ澄ますことに向かわず、
機能停止→おやすみ状態になってしまう。

私は本当に眠るのが好きで、
もう目覚めなくてもいいと思うからか、
比較的寝つきもいい。

それは私の逃げ姿勢なんだけど、
誰かと比べるのではなく、
私は相当毎日疲れ切っているのだろう。

それは、大きな災難がいつも降りかかっているからではなく、
何が起こっても、自分が必要以上に大きく影響を受け、
悪い方向に受け取ってしまっているからだろう。

今の環境で楽になる方法を探した方がいいかもしれない。
重圧すぎて最後に全部投げ出してしまう前に。
きっと愚かなこだわりを、
今、捨てれないから苦しんでいるだけだと思う。

今日も私たちが聖霊の声を聞き取ることができますように。
私たちの選択を聖霊のものと一致させることができますように。

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