奇跡講座 ワークブック編 34.私はこれを見るかわりに、平安を見ることもできる。

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今日は「奇跡講座 ワークブック編」より34.私はこれを見るかわりに、平安を見ることもできる。

日々「なんでこんな目に遭わなくちゃならんのだ?」ということばかりですが、
きっと誰もが同じように思っているのでしょう。

怒りの八つ当たりを受けた私がそう思っているのは当然のこととして、
怒りを発した当の本人ですら、
怒りの発端は「なんで私だけが?」だということは容易に想像ができます。

心の平安とは、明らかに内面的な事柄である。
それは必ずあなた自身の考えから始まり、そこから外へと広がっていくものである。
世界についての平安な知覚は、あなたの心の平安から生じるのである。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編 W-pI.34.1:2より

一昨日、私が気づいたように、
自分がずーっとずっと平安な心もちでいられるようにするには、
自分がどんな出来事の中にあっても変わらないという、
考え方に対する習慣というか方向性を身につけるしかないな、と思う。

いつもangelが助けてくれるわけではない、
いつもモノゴトが自分の思っている時間枠の中で好転するわけではない。

ならば、何があっても変わらない、
永遠というものを、自分の中に持たなくては。

それは外から入手するのではなく、発掘作業のようなもの。
ピカピカ・キラキラしているイメージして、それを根気強く掘り下げる。
ぜったいに、それはある。

身近な人から受ける影響もあれば、
向こうは私のことを知らないのに他人から受ける影響もある。

今朝も記事を読んでいて、政治家に対して「アホか」と思い、
同じように「この人はアホですね」とコメントしている人に対して
「Yes!」と入れようかと思ったけど、やめた。

とっさに今日のレッスンが浮かんできて、
「あぁ、この怒りを平安と取り換えることができるんだよな~」と。
一回思っただけでは収まらなかったので、
何回か「平安を見ることもできる」を繰り返して、ようやく落ち着いた。

奇跡講座の勉強会に参加することも考えたけど、
やっぱり今はいいや、という結論に至った。
そういうグループに入るのは、同じ考えを持つ人たちの中に身を置くことなので、
話しもはずみやすく、居心地がいい。

でも、私にその場が必要なのか?
1人だけれども崩れそうになっていなければ、
こうしてすべての瞬間、世界と向き合って永遠を探すだけで進めるだろう。

外の力で何かが変わるものではない。
あくまでも自分の中の力でしかない。

今日も私たちが聖霊の声を聞き取ることができますように。
私たちの選択を聖霊のものと一致させることができますように。

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