奇跡講座 ワークブック編 32.私が、自分の見ている世界を作り上げた。

月

今日は「奇跡講座 ワークブック編」より32.私が、自分の見ている世界を作り上げた。

昨日、本当に家庭内が大変な状況で、ワークがずいぶんと役に立ちました。
奇跡講座 ワークブック編 31.私は自分が見ている世界の被害者ではない。
ずっと「私は自分が見ている世界の被害者ではない。」って唱えてました。

心と言うのは(自我とも言うのだろう)
いとも簡単に自分にとって楽な方向に進もうとします。
自分の心の在り方を変えることよりも、
誰かに罪をなすりつけてしまえば、自分は変わらなくてすむから。

それを見るも見ないも、あなたの望むままである。
あなたがそれを望んでいる間は、それを見るだろうし、もはやそれを望まなくなれば、それがあなたに見えるものとしてそこに存在することはなくなるだろう。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編 W-pI.32.1:4より

ものすごく昨日のワークをしていたら、
過去の自分のことを思い出しました。
ひたすら「心が強くなりたい」と願った日々のこと。

私は人から叩かれまくって大きくなった記憶しかありません。
これだけ記憶が周囲から叩かれた記憶しかないので、
褒められても慣れておらず、褒めてくれた人を疑ってしまう。

ひたすら叩かれて、そこから立ち上がって生きてきたので、
私は誰からも心を折られないくらい、強い心になりたいと思いました。
真剣に思ってました。

今回も私は人から八つ当たりを受け、
見事に術中にはまり、
心身疲労し、集中力がなくなり、仕事の効率が落ちました。

相手は私がそんな状態になっていることはおかまいなく、
気づいてもおらず、自らの怒りを発散させることに集中していました。
それを無視できず、受け流すこともできず、まともに(勝手に)受けました。

夜、一人になって、走りながら、ずっとレッスンをし、
強くなりたいと思い、
受容と愛の力を下さいと聖霊にお願いし、
最終的に「いやいやもらうのではなく、自分の中から掘り出すんだ!」と気づきました。

外からもらって解決するというのは、
例え相手が聖霊であろうとも、イエスであろうとも、
私が今回、悪い影響を受けたことと同じ。
ただ事象が違う裏表です。

そうではなく「自分の中にあるんだ!」と発見できれば、
それは求めても得られるかどうか分からない旅に出ることもなく、
私にとっては一生ものの輝きで、枯れることのない泉のようなものになるのです。

それが真の意味でのギフトだと思うなぁ。
ハッキリ「見つけた!」とは、昨日の時点では行かなかったけど。
ようやく掘る場所を見つけた、というところかな。

これからはとにかく自分の内側にもぐっていく旅になるのだろう。
一日に会う人の数が少なくても、
自分は勝手にどんどん反応しているので、
掘る手がかりになる小さな穴はいつでも見つかる。

外じゃなくて内。
そしてそれは逃げないし、なくならないし、絶対にある。

今日も私たちが聖霊の声を聞き取ることができますように。
私たちの選択を聖霊のものと一致させることができますように。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
スポンサーリンク