奇跡講座 ワークブック編 25.私は何が何のためにあるのかを知らない。

鴨のシルエット

今日は「奇跡講座 ワークブック編」より25.私は何が何のためにあるのかを知らない。

昨日、一昨日と、このレッスンをしているのですが、なかなか一日6回できないことと、
いつもとスケジュールの違う日程で過ごしたため、ブログを書く時間が取れないこと、
で、とどまっていました。

が、今日は新しいレッスンへ進むとして、
こちらは振り返りとしてブログ掲載しておこうと思います。
(所定回数できなくても進みます!じゃないとここから先、さらに難しい日が出てくる~)

どうしてレッスンの所定回数ができなかったか、
それはどうしても今回のフレーズが覚えられなかったから。

出先でも、覚えていれば、レッスンはいつでもどこでもできるものでした。
だけど、実際に怒りを感じる状況に出くわしたとき、
出てきたのは「攻撃的な考えを放棄することで、私は自分の見ている世界から脱出できる(レッスン23)」でした。

そして、それを思い出し、唱えることによって、
私の怒りは静まりました。

今日のレッスンの言葉も納得できます。
私は身の回りにあるモノ・人すべてに価値判断を下しています。
が、それは私の見方であって、
長期的に、また、広範囲的に、それがどんな影響を与えているのか知りません。

でも、言葉としてとっさの時や、レッスンしようと思ったときに出てきませんでした。
今は出てこなかった理由はハッキリとは分かりませんが、
自我にとって非常に不都合な言葉であるからかも。

あなたは世界とその中にある一切を、自我のゴールの見地から有意義だと知覚している。
これらのゴールはあなたの最善の利益とは無関係である。
自我はあなたではないからである。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編 W-pI.25.2:1より

自我は私ではない。
今はべったりとくっついていて、自分がソレだと思い込みがちだけど。
この自我のべったり感がはがれたとき、私はどうなるんだろう。楽しみだし、早くこの境地にたどり着いて楽になりたいなぁ~

すべてについてあなたが自分で設定したゴールを、自ら進んで放棄しようという気持ちになることが、あなたの学びにとって決定的に重要なことである。
それらのゴールが「よい」か「悪い」かではなく、意味がないと認識することが、それを達成する唯一の道である。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編 W-pI.25.5:1より

放棄することは、今は難しそうに見えるけれども、
やっていくごとに簡単になるような気がする。

昨日走っているときに向こうからくる人とすれ違う時に思った。
「私はすれ違う瞬間にツバをはきかけられたら怒りを感じるだろうか?感じるのだろう。」

イエスはきっと、怒りを感じない。
まだまだ遠い領域だ。
でも、それが達成できたのなら、心はいつも軽やかで穏やかでいられるのだろう!
今日も頑張ろう♪

今日も私たちが聖霊の声を聞き取ることができますように。
私たちの選択を聖霊のものと一致させることができますように。

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