奇跡講座 ワークブック編 22.私が見ているのは、復讐の一形態である。

夏と秋。

今日は「奇跡講座 ワークブック編」より22.私が見ているのは、復讐の一形態である。

自分の怒りを世界に投影したことで、今にも自分に襲いかかろうとしている復讐を目にする。
そうして自分の攻撃が正当防衛として知覚される。
これは自分の見方を進んで変えようという気持ちになるまで、さらなる悪循環として続いていく。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編 W-pI.22.1:2より

自分の見方を進んで変えようと思った瞬間。
それを本気で考え始めたのは、
奇跡講座を始めてからだと思う。

スピリチュアルなこと、いろいろやってきて、
たまにそういう教えに出会うこともあった。
でも、真剣に考えず、他のスピリチュアルなことも同時進行で、
それで何も問題ないと思ってた。

根底にあるのは「悪いのはすべて周囲」だった。
私を育てた親が悪い。
私の能力をきちんと評価してくれなかった上司が悪い。

時には、それは学んでいるスピリチュアルなものの方向性によって、
私を正しく育てることができなかった親は、そうする能力がなかったのだ、かわいそう。
私の能力をきちんと見極めることができず、宝の持ち腐れをした上司はかわいそう。
などと変な方向に解釈されることもあった。

悪いのは私の心の持ち方だけれども、
これをキリストに預けて消化してもらうのも違う。
(そんなことでキリストを苦しめるなら、生まれてこなければ良かったじゃん!)

自分の心の持ち方に問題があるけれども、
それは修正できるし、
本来は正しい位置にあるのだから、
このちょっとした脱線について神は知らないし、
知らないから罪に問うこともない。

自分が作り出した世界から、
少しずつ巻き戻していく感覚。

今朝、月曜の朝、そもそも重い体を引きずっての通勤。
後ろに立っている人が咳き込み、私の手にツバが飛んできた。
ハッ!としてハンカチを出して拭こうとすると、
反対の手で持っているスマホにも、さらに強烈に飛んでいた。

一瞬ムッとして、何度かハンカチで拭き取った。
そして、そこで奇跡講座を思い出し、ムッとする時間は終了した。
本当に愛があふれ出ている人ならば、咳き込んだ人を気遣うかもしれない。
でも今の私にはムッとする、をなかったことにすることで精一杯。

こんなカンジだけど、少しずつ進んでいる。
自分はきっとゆっくりではあるけれど、良い方向に進む。
小さなことだけど、そういう思いって大切なもの。

今日も私たちが聖霊の声を聞き取ることができますように。
私たちの選択を聖霊のものと一致させることができますように。

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