奇跡講座 付録 3-4.癒しの持つ聖性*祈りの歌

ささやかなこと。

今日は「奇跡講座 マニュアル編 付録」より3-4.癒しの持つ聖性*祈りの歌

いよいよマニュアル編最後なので、なんだか張り切って読んでしまいました。
4月から読み始めたので4ヶ月。
やっぱり早かったですね~

その間にはいろいろあって、相変わらず家族との関係性の中で揺れていますが、
「この人を赦せたら、私は悟れるだろう」とずっと公言していることは、
かなり本質の部分からの言葉のようです(汗)

だからきっと、このブログを訪れる人は
「あー、この人、まだこの部分でぐるんぐるんしてるんだなー」と、
進歩のかけらも見られない私をみて、奇跡講座が難しいのか?と思うのかも。

もちろん、そんなことはなくて。
奇跡講座をしていなかったら、私は家族という問題にぶつからなかったし、
一生見ないふりをして過ごすことができたと思います。

自分の罪悪感を周辺に投影するのはどんどん上手くなって、
上手くなればなるほど、上機嫌になって。

上機嫌だけど、イライラして、
「どうしていろんなものに勝ってるのに、こんなにイライラするんだろう?」
だけど仕組みが分からず、一生戦い続ける。
そんな人生だと思います。
ほんとー、戦闘好きだったもんなー。

実はようやく先日、人と協力することを学びました。
今までは何でもかんでも勝ち負けだったので、何かを一緒に作り上げるにしても、
その一部を自分がいかに上手く仕上げるか、
自分が請け負っていない部分をいかに人がさぼらないか、
さぼった場合には、いかにフォローして自分の株をあげるか、が私の中の問題。

それを人に任せることができたこと、
任せた相手を心から褒めることができたこと。

こんな簡単なこと、小学生だってできる人はいると思うのです。
だけど、私はそれから30年もたって、やっとできるようになった。

この30年間、何してたんだい?とも思いますが、
私には必要な道のりだったようです。
ほんと、書くのもお恥ずかしいことですが。

赦しは、草の葉や、翼あるものや、地上の生きとし生けるものすべての上に輝き、慈悲深い慰めのひとときをもたらす。
ここに恐れの隠れ家はない。
聖なる一体性に包まれた愛が訪れたからである。
時間はただ、世界が輝きのうちに消え去るとき、祈りの最後の抱擁を一瞬の間、地上にとどまらせるためにのみ残っている。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編S-3.4.2:3より

ずっと人間以外のものがどういう意味を持つのか、
奇跡講座的解釈を探していたけれども、
ここに一つの答えがあるのではないのかな。

食う・食われるの関係にあるものが一同に介して、
「仲良くにっこり」なんてことは不可能だけれども。
そういう状況になっても、私は恐れずにすむということかな。

この部分を読んでいると、
今、生きている時代もほんの一瞬なんだなぁ、と感じる。
だって、今までの生きてきた年月、あんなに長く感じていたのに、
振り返ると一瞬だし。

ただ、経験をして、学んでいくために、
自分で今という時間を引き延ばしているんじゃないだろうか。

同じように未来をみても、一瞬だ。
きっと、私はあっという間に死んでしまって、
性懲りもなく「あー、地球って楽しそう♪」とすっからかんの頭をもって、
また地上に降り立つのだと思う。

ならばなぜ、引き伸ばそうとするのか?
引き伸ばせば、引き伸ばすほど、私の一生は意味のないものになる。
そしてぐるぐる輪廻の渦に巻き込まれて、
また自分が「あれ?おかしい?」と気づくタイミングを待たなければならない。

なぜ今やろうとしないのか。

一瞬の間、静まりなさい。
厳しく辛い努力と敗北のざわめきの背後に、あなたに向かって私のことを語る声がある。
これを一瞬の間、聞きなさい。
そうすれば、あなたは癒されるだろう。中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編S-3.4.7:4より

いつもそれは或る。
私が一人で不可能そうに見えるものに立ち向かうわけではない。
いつも行動指針をくれる。
ただ、それに従おうとしないのは私の意志だ。

生きとし生けるもの全てが穏やかに過ごせますように。

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