奇跡講座 付録 2-2.破壊するための赦し*祈りの歌

夏っぽい。

今日は「奇跡講座 マニュアル編 付録」より2-2.破壊するための赦し*祈りの歌

この範疇においては、まず最初に、「より善良な」者がもったいなくも腰を低めて、「卑劣な」者をその真の卑劣さから救い出してやるための数々の形態がある。
ここにおいて赦しは、恵を垂れる高貴な者といった態度の上に成り立っており、そうした態度はあまりにも愛からかけ離れているため、そこから傲慢さを除去することは不可能である。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編S-2.2.2:1より

奇跡講座の内容に深く入るまでは、ずっとこの考え方だった。
だから、自分が「いかに高貴な側に入れるか」に策を巡らせる日々だった。
ヒーリングの技術があれば!とか、
学を積めば、とか。

この時は本当になぜかプライドだけは高く、
自分はみんなには分からないけれども、高貴な存在なのだ。
それが周囲からおとしめられて、こんな状況にいる。
周囲がすべて悪い。
と、おおっぴらに思っていた。

ずっとここがホームグラウンドだったから、
今でもここに陥りがち。

例えば、この世界的に見ると私の方が正しいことを言っているけれども、
相手が折れないから、
相手よりも一つ上のレベルにいる私が相手を「受け入れてあげる」と思う時。

相手を裁くことも日常茶飯事であれば、
自分とのレベル確認をすることも日常茶飯事だった。

いつも周囲の人間に激しい競争意識を持っていた。
仲良しのコと一緒にいても、いつも自分の中の何かと彼女を比べて、
一つ一つに心の中で勝ち負けを決めていた。

そんなことばかりやってたら、
疲れるのは当然だし、
この世界が面倒くさいことも当然。
だって、会う人、全員に対して勝ち続けるなんて無理なんだもん。

二番目の説明はキリスト教っぽいなぁーと思った。
この段階を通らなければ、さらに先に進めないのであれば、
私はここに行ってないから、まだまだ先が長い、ということになる。

その代わりに今や彼は、ここに罪深さを自分と共有している相手が居ると言う。
なぜなら、二人とも卑劣だったので、神の怒りによる天罰を受けるに値するからである。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編S-2.2.3:3より

自分も相手も罪深い、と思うこと。
だから一緒にこの世界的な罰を受け取るのは当然だと思うこと。

罪深いから、神はそれを罰するために自分を生かし続けている、と思うんだろうな。
そんな人生イヤだけど。

早く周囲の人全員が、キラキラ輝いてみえるといいなぁ。
でも、見えるためには、見る努力を重ねていかないと。
その前に立ちはだかっているすべてのものを超えてみる力をつける。

今日もそんな力をつける一日にできますように。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
スポンサーリンク