奇跡講座 付録 3-3. 支払いの問題*精神療法:目的、方法および実践

橋のふもとの光景

今日は「奇跡講座 マニュアル編 付録」より3-3. 支払いの問題*精神療法:目的、方法および実践

医者よ、ヒーラーよ、セラピストよ、教師よ、汝自身を癒しなさい。
もしあなたが選択するなら、多くの者が癒しの贈り物を携えてあなたを訪れるだろう。
聖霊は、中に入ってあなたのもとにとどまってほしいという招待を、決して断りはしない。
あなたの救済への扉を開くために、無数の機会をあなたに与えてくれるだろう。
それが聖霊の機能だからである。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編P-3.3.8:1より

台風などいかがでしょうか?
スタッフたちの半数が台風や病気の突然の理由で、
半数は最初から申請されていた通りの理由で、
昨日は出勤する者が私と社長のみという事態。

もちろん通常業務など回らないわけで、
自分の仕事に着手できたのが19時。
それはもう、赦しの機会だなぁ~と思わざるを得ない状況に。

私の中では「特定の○○さん」を責める体勢になっており、
またいつものように、○○さんは、この世界的にみれば責められてもおかしくない状況。

私v.s.家族の時も、家族は(今でもそうだけど)この世界的に見れば責められてもおかしくない側。
実際に会社でスタッフたちに現状を話したら
「わかさん、よく一緒にやってけるなぁ~」と半ばあきれられました。

「この世界的に見れば」
奇跡講座で大切なのは、そこじゃない。
この世界の判断をしつづければ、永遠に私は癒されない。

くたくたになって帰宅。
リラックスして晩ごはんを食べていると、
どうしてもスタッフに対する愚痴を言いたくてたまらない自分がいる。

「○○さんが、また××で~」
この世界的に見れば同情が得られる確率は高いので、きっと家族も○○さんを責める。
だけど、それじゃない。

同時に「でも○○さんにも、こんないいところもあるから、それでプラスマイナス0!」でもない。
ただ、無、だし、
ただ、起こっていない、のだ。

ここにはまだ聖霊の助けが必要。
どうしても私は損得や貸し借りを考えてしまうから。

この世界的に考えると、生命維持装置みたいなのつけて、
ずっと眠っているような老人に私はどういう価値を見出せばいいのか分からない。

でも、奇跡講座で考えると、
必要な人にだけ、癒しの機会を与えるために、その人は出会うのであって、
私がそういう人から癒しの機会が必要でなければ、一生出会わない。

「あなたの救済への扉を開くために、無数の機会をあなたに与えてくれるだろう。」
まさにその通りなのだと思う。
日々のなんてことないことから、沢山の機会が私に与えられている。

一つ一つの瞬間が選択で、
相手を赦すか、裁くかになっている。

間違えることも多いだろうけれども、
今は、選択しているのは私で、
すべての機会は私に対する癒しの選択だと認識できればいい。

今日もできるだけ多くの機会を聖霊に預けることができますように。

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