奇跡講座 付録 3-2. 精神療法は専門職であるか*精神療法:目的、方法および実践

晴れた日に

今日は「奇跡講座 マニュアル編 付録」より3-2. 精神療法は専門職であるか*精神療法:目的、方法および実践

癒されていないヒーラーは、傲慢であったり、利己的かつ無関心であったり、実際に不誠実であったりするかもしれない。
彼は、癒しに対し自分の主要なゴールとしての関心はもっていないかもしれない。
しかし、彼がヒーラーになる選択をしたとき、たとえどんなに間違った導きによりその方向を選んでいたとしても、ほんのわずかであれ彼に何かが起こったのである。
その「何か」で充分である。遅かれ早かれ、その何かが頭をもたげ、大きくなっていくだろう。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編P-3.2.3:2より

今振り返ると、本当に自分がヒーラーだと思っていたことはおこがましく感じる。
奇跡講座を進めれば進めるほど、自分が一学習者として取り組むことを決意できて良かった。
周囲のヒーラーさんたちを責めるつもりは全くないです。
私自身は、こういう選択をできて良かった、と思うだけ。

ずっとこの生涯を生きてきて、
「人を癒すにはまず自分が癒されていなければ」とか、
「一度つながった人とは二度と離れることはない(ほんとは会う前からつながっているけど)」とか、
「すべての瞬間がすでに終わってる」とか、
「同時に何人も自分が存在している」とか、
「うまく表現できないけれども、全部が溶け合って気持ちよくなる瞬間がある」とか、
「宗教の奥には、もっと全体共通の深い教えがある」とか、
自分の中でいつも「これは周囲の人と共有できないけれど真実」だと思うものを持っていて、
それがようやく「はい、当たり、全部正解っ!」と言ってくれたのが奇跡講座。

だから私はきっと手放さないと思う。
だけど、他の人は別のものを選択しても全然かまわない。
私にとってピッタリなものは、他の人にとってもピッタリとは限らないから。

ただ、ここにも書いてあって「ハッ!」としたのは、
ヒーラーになる選択をした時に、ほんのわずかであれ何かが起こっており、それだけでその時点では充分だということ。
そう言ってもらえると本当にホッとする。
そして、ここに続くように「その何かが頭をもたげ、大きくなっていく」という結果が今の私。

ヒーラーとして活動を始めて、いろいろな道を模索したから、
ここにたどり着いたのかもしれない。
聖霊は何でも自分のツールにして、最善の方向に導くというのは、
本当にそうだなぁと思う。

だから私も周囲のヒーラーさんたちのことも、
別にヒーラーじゃない人たちのことも心配していない。
以前は「そんなところで止まってちゃダメ!」とか、「そっち方向じゃない!」とか、
偉そーに自分がその人たちのことを引っ張っている意識があったと思う。
いやはや、本気でお恥ずかしい。。。

それがなくなって、やり甲斐や張り合いがなくなったかと言えば、
反対に安心したのだ。
自分の意のままにならなくていいんだから!
全部が。

だって、この世界で自分の意のままになることなんて、これっぽっちもない。
いくら一生懸命しても、相手が人じゃなくて物だったとしても、
すべてを自分のコントロール下に納めることができない。
それを別に悔しがる必要はないんだもの。

善きものは保存されるし、実際、大切にされる。
しかし、時間はほんの少し省かれるだけである。
新しい夢は一時的な魅力を失い、恐れの夢に変わるだろう。
恐れがすべての夢の内容である。
だが、自分が受け取る準備ができている以上のものを受け入れることのできる患者はいないし、自分がもっていると信じている以上のものを差し出すことのできるセラピストもいない。
それゆえに、この世界には、すべての関係のための場があり、それらは、各人が受け入れて使うことができる限りの善きものをもたらすことになる。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編P-3.2.6:4より

どんなに言ったり、動かしたりしようとしてみても、
この世界のものは動かなかったりする。
それは相手が受け取る準備ができていない、ということも多い。

待つしかない。
今の相手の状況を受け入れて、見守るしかない。
相手が求めてきたときに、聖霊が言うものを出せばいいのだ。

ほんのわずかな意欲を、私たちが今日も持ち続けることができますように。
私たちの中に聖霊がいて、何も心配することはない、恐れることはないということを
いつの瞬間も認識できますように。

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