奇跡講座 付録 2-7. 患者とセラピストの理想的な関係*精神療法:目的、方法および実践

リス子ちゃん

今日は「奇跡講座 マニュアル編 付録」より2-7. 患者とセラピストの理想的な関係*精神療法:目的、方法および実践

最悪だった家族との関係も少しずつ良い方向に変化しています。
何回か言っていると思いますが、あまりにも最悪だったので
「この人と一緒に居ることで、私は悟りを開くことができるようになるだろう」
と常々語っていたことが、だいぶ実現に近づいた気がします。
とはいえ、今生でできるかどうかは、疑問が残るのですが(汗)

彼は私の元に患者として訪れたわけではなく、
私もセラピストとして活動していたわけではありません。

では、誰がセラピストであり、誰が患者なのだろう。
最終的には、誰もがその両方である。
癒しを必要としている者は、癒さなければならない。
医者よ、汝自身を癒しなさい。
他に癒すべき誰がいるというのだろう。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編P-2.7.1:1より

誰もが、誰かのセラピストであり、
誰かの患者であるという状況にあります。
ただ、その環境に気づいているか、生かせるかはセラピスト側次第。
セラピスト側にある人が、その状況に観念して実相を受け入れるか。

私が家族との関係について、一番最初に思ったのが
「どうして私だけが妥協しなくちゃイケナイのか?」ということ。
私が彼を受け入れるなら、できれば彼に私を先に受け入れてほしいと思ったし、
彼が私の施しで生きているのだから、それをまず改善してほしいと思いました。
すべてはそれからじゃないと、アンフェアだと。

そんな状況の中で、奇跡講座を学びつつ実践を続けました。
「どうして私ばっかり!」と怒り出すことももちろん多く。
でもなぜか、投げ出す気にはなりませんでした。
私にとって真理がここにあり、ここ以外にはないと確信があったからです。

ここまで来て、やっと、家族が私の患者役で居続けてくれたことに感謝できるようになりました。
よくもまぁ、私の罵詈雑言を受けながらも、飛び出さず、家族解消もされず居残ってくれたと。

セラピストを訪れる患者の一人ひとりが、セラピストに自分自身を癒す機会を差し出している。
それゆえに、患者はセラピストのセラピストである。
そして、どのセラピストも、自分のもとへやってくる患者の一人ひとりから、癒すことを学ばねばならない。
そのようにして、セラピストは患者の患者となる。中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編P-2.7.1:7より

もちろん、聖霊も私というなかなか上手くいかない題材を抱えながらも頑張ってくれました。
いつも聖霊は前向きです。
「この人、いつまでたっても同じところで足踏みしてる。見込みがないから他の人のトコに行こうっと♪」
なぁんてことは一切ありません。

その献身的な関係に感謝の気持ちが湧きますし、
それは元々、神から聖霊に与えられたギフトであり、
同時に私に与えられた究極のギフトなのでしょう。

このためには、一つのことが必要であり、しかもその一つだけが必要である。
それは、セラピストが決して自分自身を神と混同しないということである。
すべての「癒されていないヒーラー」は、何らかの形でこの根本的な混同をきたしている。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編P-2.7.4:1より

まさにこういう状況だったなぁ~と過去を振り返って思う。
私は自分自身が癒されていないのに(癒される必要があることは薄々感じながらも)
私を頼って集まってくる人たちを癒せると考えた。
しかも、私が与え、彼らは受け取ると思っていた。

今思うととんでもないことだけれども、
この振り返りの機会も含めて、聖霊は私に与えてくれたのだと思う。
「あぁ、あそこの地点から脱出できてよかった!」
心からそう思うと同時に、患者役を買って出てくださった方々にも感謝。

今日も私たちが自分のペースで、真理に一歩近づく努力ができますように。
ほんの少しの意欲を持ち続けることができますように。

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