奇跡講座 付録 2-3. サイコセラピストの役割*精神療法:目的、方法および実践

あじさい

今日は「奇跡講座 マニュアル編 付録」より2-3. サイコセラピストの役割*精神療法:目的、方法および実践

私は新しいものがスキ。
古いものに見向きもしなくなることも多い。

人間関係も同じで、
それは、自分に不足しているものを外から得ようとしていること。
ある人がダメなら、別の人なら私(の不足)を満たしてくれるかも、と。

奇跡講座を学び始めるまでは、そんなの当たり前のこと。
相手が私を満たさないのが悪いと思っていた。

奇跡講座を学び始めてから、私の中にはある一つの考えが浮かび、
それは本当のことだと、今でも確信している。

私は面倒くさい家族がいる。
だけど、血縁ではないから、いつでも切り離すことができる。
そして、別の人を同じような関係性に引き上げることもできる。
つまり、離婚することができ、再婚することが(相手がいれば)できるということ。

だけど、私が確信しているのは
「この人を真の意味で赦すことができれば、私は悟れるだろう」。

周囲の人からは、そんな家族とは離婚した方がいいと何度も言われた。
その時に、やっぱり家族の個性が私には扱いにくく面倒くさいし、
切ろうと思えば私から切れるのだから、離婚してやろう!
と思ったこともたびたびあった。
「やっぱりあの人たちの言うことは、本当かもしれない・・・」と。

そういう時に、どうしても最後までいかなかった。
本当に真実に沿って行動していることになるのか?と。
聖霊と話しても同意は得られなかった。
聖霊はどんなにイヤな家族でも一緒にいるように促した。

それが真実に近づくような気がして、結局何度も思いとどまった。
思いとどまっても「この人と一緒にいるのは利益がない」ということに何度も行き着いた。
そのたびに自分の中の自我が暴れた。
「離婚してしまえ!私にはその権利があり、できる!」と。

そのたびに行動を起こしそうになり、
何かが留めるということを繰り返していた。

奇跡講座による学びは続けてきた。
今、ようやく、一つ抜け出したかな、という感がある。

相手がどんな状態であろうとも、この世界的に私にとって利益がなかろうと、
さらに私に不利益をもたらしていても、私は彼を受け入れる努力をしている。

条件付きの愛情ではなく、
無条件の愛情で応える努力をしている。

条件をつけていたときには、
家族の悪いところはいろいろあっても良いところもあるんだから・・・と認めていた。
そうすると、どんどん悪いことが強調される状況が訪れ、
結局、家族の利点が欠点を上回ることができなくなった。

もう、降参。
そう思ったときに、
相手に条件つけず受け入れることしか残ってないことに気づいた。

相手が不機嫌でも、
体も心も働けるであろう大人なのに何年も働かない状態でも。
こんな人、もう一人、受け入れるとなると私はオーバーキャパだけど、
相手は一人だ。

そうする努力をしていると、
相手に対して怒りが常時立ち上がらないようになった。

次に突発的なことがあっても、相手に怒りが立ち上がりにくくなった。
立ち上がっても比較的早い段階で収まるようになってきた。

家族に対してできるようになってくると、
他人に対しても少しずつできるようになってきた。
まさに家族は、私に与えられた試練の石なのだと強く思う。

癒しは、患者の限界によって制限されるのと同時に、サイコセラピストの限界によっても制限される。
したがって、このプロセスの狙いは、これらの限界を超えることである。
これは、セラピストと患者のいずれもひとりではできないことだが、両者がつながり合うとき、すべての限界を超越する可能性が彼らに与えられたことになる。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編P-2.3.2:1より

私はサイコセラピストではないけれども、
私も家族も多大なる限界の持ち主だ。

家族は私に助けを表立っては求めていない。
でも、愛がほしいということは分かる。
誰だって愛がほしくない人はいない。

片方が愛をもとめ、片方がそれに応じる努力をする。
そしてつながることができたとき、二人の関係が新しいステージに来たと思えた。

私はいつも相手に対する怒りがベースにあったので、
真の意味で相手を信頼することができなかった。
相手が何を言っても、話半分でしか聞けなかったし、
悩み事を相談して、一緒に解決するなんて、無理だった。

今は相手の話をきちんとハートの部分で聞くことができる。
一人では解決できないことを相談したり、
自分の判断が正しいのか、意見を求めることができる。
私と違う個性の相手から、新しいアイディアが出たときに、
きちんと私見を入れず、まず受け止めて、吟味できるようになった。

それによって、相手にも変化がでてきたような気がする。
相手が以前よりも安心できるようになってきた気がする。
私は相手ではないので、確実なことは言えない、分からない。
でも、以前よりも「ありがとう」と言われる機会が多くなったような・・・

精神療法が失敗したように見えることは大いにあり得ることである。
退行のように見える結果が現れることさえある。
しかし最後には、必ず何らかの成功がある。
ひとりは助けを求め、もうひとりはそれを聞き、助けるという形で応答しようと努める。
これが、救済のための公式であり、必ず癒しをもたらす。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編P-2.3.3:1より

つらい時こそ、相手を責めないでほしい。
相手を責めている自分を認識したら、疑問を持ってほしい。
「これは私の望んでいる感情なのか?今、心地いいのか?」と。

偉そうに言っているけど、私もまだまだ。
これからも家族や周囲の人は私の助けとなるだろう。
そして共にこの世界を照らす光を増していくのだろう。

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