奇跡講座 マニュアル編 エピローグ*用語の解説

休日の・・・

今日は「奇跡講座 マニュアル編」よりエピローグ*用語の解説

一昨日、頭の中がまとまらないまま時間が来て、書き上げざるを得なかった。
人から何度も話しかけられ、そのたびに応えていたら、
ブログを書いている間、延々と続くことになり、
最後の5分だけは、話しかけを無視して集中させてもらった。

あの時、私が取る行動はイライラすることではなく、
聖霊にどうすればいいのか尋ねて、それに従うことだったのだろう。
ブログを書いている瞬間すら、愛かそれ以外かの選択を迫られるのだなぁ~

一昨日の夜、世界No.2の成績を上げた営業出身で、
今は社内教育などを行っている人のセミナーに行った。

質問する機会があったので、聞いてみた。
「今上がっているモチベーションが明日の朝に下がっています、継続にはどうすればいいでしょう?」
その人はある意味、営業らしい返事をくれた。
「根本的な考え方が変わるしかありません。まずは、私の考え方に触れられるよう、セミナーなどに何回も来てください!」
「セミナーに何回も来ているにも関わらず、変わらない人は『アウトプットできていない』からです」

なるほど。
やっぱり、その習慣化されていない、今と違う考え方を取り入れるためには、
一回のセミナーで「うぉぉ、やるぞ!」と思っただけでは継続できない。
だから、何度も触れて、それが当たり前の発想になるように、そこは努力が必要。

だけど、恐怖心があると、やっぱり今の状態に戻ってしまうので、
自分の中に知識や雰囲気や気持ちを取り入れると同時に、
実践というアウトプットをしていかなければ、定着はしない。

あぁ、そうなんだな、と思った。

やっぱり、そうなんだ。
定着への努力の量や時間の差はあるかもしれないけれども、
自分の中の習慣を変えるためには、繰り返しの努力が必要なのだ、と。

奇跡講座だけではなくて、何かを習得しようと思ったら、
今、ないものを習得するのだから、
時間の流れやそれを日常に組み込むため考え方の方向を変える必要が出てくる。

当たり前のことなんだけど、
どうしても新しいモノがキラキラ素敵に見えて、気持ちを刺激するので、
その、今あるものを調整しなくてはならない、という部分が見えなくなる。
そういうことに、ようやくいろいろな物事を通して気がついた。

ひとたびこの旅が始まればその終わりは確実だということを、忘れてはならない。
途中で疑いが何度も去来するだろう。
それでも旅が終わることは確かである。
神から任せられたことを成し遂げられない者はいない。
このことを忘れたときには、あなたは神の言葉を胸に抱いて髪と共に歩んでいるということを思い出しなさい。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編C-エピローグ.1:1より

真理に基づく考え方が、
ある刺激的な出来事によって、自然に脇に押しやられる。
そのたびに刺激に流され、疑いが生まれる。

「この人って本当にイヤな人!」
「どうして私のことをないがしろにするんだろう?」

そのたびに、脇に押しやられていた真理を引き寄せる努力が必要になる。
それが小さな意欲を持ち続けること。
自分が真理が分かっていること、それを感じれば疑いが消えること。

昨日、親しい友人と話していて、この夏のイベントスケジュールに対して
「もっと自分が何回も参加を要請されると思った・・・」と言った。
私にとっては、友人がイベントに参加するよりもすべきことがあると思えていたから、
私はいじわるな答えを思いついた。
「それよりももっと大事なことをしなくちゃね」とか、
「回数多く選ばれなかったんだから、すべきことに専念してってことだよ」とか。

それを頭の中に思い浮かべながら、
これを言うと友人はガックリするだろうな、傷つくだろうな、とも思った。
だから「これから調整が入って、今のスケジュールは最小限の回数で、最終的にはもっと要請が来るよ!」と言った。

現実的に見ればそうなのだ。
私が言うように、今後調整が入って、もう少し友人がイベント参加する回数は多くなるだろう。
でも、私とは物事の優先順位が違う友人を責めたくなる自分がいたのだ。

責めることはとても気持ちがいい。
自分だけが正論を知っているような気持ちになる。

そこに気づいて、押しとどまった。
自分が気持ちよくなることよりも、
誤りに気づいて、自我に流されず、出てきた言葉を言った。

そういう言葉を言っても、きっとこの会話が終わるまで、
友人は言葉少なで不機嫌になるだろうな、と思った。

だけど、違った。
友人は一瞬で悲しそうな顔から戻り、
別のわくわくするような話題に移った。
その後も、落ち込んだ様子を見せることはなかった。

そこに私はビックリした。
友人が、そういう会話の後、ずーっと落ち込む、というシーンを何度も見ているから。
友人を褒めたのではない、責めなかっただけ。
それっぽっちのことが、こんなにも場の雰囲気を変え、私の気持ちまで楽にさせるんだって分かった。

こういう小さな実践を、続けていく。
私がすべきことは、これだけなのだろう。

恐れてはならない。
私たちは、新たな旅のように見えるが遠い昔にはじまった往古の旅に、もう一度出かけるだけである。
以前に旅をして少しの間だけ迷った道を、私たちは再び歩み始めた。
そして今、もう一度試みる。
私たちの新たな旅立ちには、これまでの旅に欠けていた確信がある。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編C-エピローグ.3:1より

今まで「これが真実だと思う!」と何度も確信を抱いてきた。
だからこそ、自分の確信に自信が持てない。
毎回、そういうことに出会うたびに、私の真実は変化したから。

今度こそ、最後の確信になるといいなと思うし、なるはずだと思う。
私は若くないし、その分、多くのことを見て経験してきた。
その私が何年もかけて、この道を真実だと感じて進んでいるのだから。

今まで真実だと思ったものと違い、自分の中のあらゆる疑問が解消された。
実践続けることで、手ごたえをわずかずつだけれども、感じている。
今日も私たちが自分の真実に近づく機会が与えられますように。

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