奇跡講座 マニュアル編 3. 赦し-キリストの顔*用語の解説

はすばかり。

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より3. 赦し-キリストの顔*用語の解説

多くの人が自分を客観視する視点を持てないということを、
先日、友人に話したら驚いていた。
彼女はいつも客観視している自分がいるので、
ある物事にとらわれても100%それで自分が一杯になることはないらしい。
そして、みんなが自分と同じことをしていると思っていたらしい。

私はいつもできるわけではないけれども、
少しずつできるようになっているので、
いつもできる彼女がうらやましいと思いながらもそういう話をした。

彼女にとっては、
100%、ある感情にのめりこめる人たちがうらやましいそうだ。

私は、それはとても面倒くさいことだし、疲れるので、もういいと思っている。
自分はその地点には戻りたくないけれども、
そういう人たちを愛おしいというか、かわいらしいな、と思う。

奇跡講座でいう赦すということは、こういうことに近い気がする。

今朝も電車の中でこういうことがあった。
みんな静かな通勤電車の中に(比較的混んでいる)、カップルが乗ってきた。
彼らは普通に二人の世界で、声のトーンも落とさず会話を終始続けていた。
私は特に朝は静かに自分の世界に入りたい方だし、今朝は体調も悪かったのでイラッとした。

その時に「あ、二人の声量にイライラしてるんだな」と自分の状況に気づき、
二人は特に罪はないことを感じ、自分のイヤホンから流れてくる音楽のボリュームを上げた。
そうすれば、二人の声も聞こえなくなり、イライラしたい気持ちも消えた。

私の状態が、もっと受け入れられる時ならば、
今日みたいな出来事は、自分の世界に集中することで気にならなくなるだろう。
でも、今朝は自分の状態がそこまで良くなかったので、
ボリュームを上げるということで助けをもらった。

私はまだまだ、自分の状態次第で赦せる時と赦せない時があるのだ。
ならば、その自分の状態を認識した上で、助けを借りていけばいいんじゃないかと。

同時に、自分の状態によって相手のとらえ方がこんなにも変化する。
私が見ている世界は、
私が持っている様々なフィルターを器用に使い分けて変化しているように見える。

奇跡講座が言っているように、本当に、私は、何も見ていないんじゃないか。
という地点に、今、たどり着きました(笑)
ここにたどり着いたのなら、次は「本当の姿をみたい」と常に願うことですね。

こういう風に自分に起こっていることを理解できるのは、
今までワークブック編をやったり、テキスト編を丹念に読んできたからこそ。
見えないところで、ずいぶんと私の基礎力は上がっていたようですね~

神の意志が、存在するすべてである。
私たちはただ、無から有へ、地獄から天国へと進むことができるだけである。
これは旅だろうか。
いや、真理においてはそうではない。
真理はどこにも行かないからである。
しかし幻想は、場所によっても時間によっても、移り変わる。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編C-3.6:1より

真理の方向へ。
幻想とは必ず変化するものだから、それは看過する。

今日もしっかりと自分の選択を意識的に聖霊と行うことができますように。
私たちにできることは選択だけなのだから。

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