奇跡講座 マニュアル編 2. 自我-奇跡*用語の解説

泥の中から生まれる清らかさ

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より2. 自我-奇跡*用語の解説

聖霊や神のことを考えていると、
心は静かに穏やかになり、これでいい、と思えるのに、
一旦視線を現実に戻すと、焦りが出てくる。

何に焦っているのかと言えば、
「この世界で何かを残すこと」について。
この世界の価値で尊いものになること、をどうしても目指してしまう。

この価値観とか、
「スグにやらないと、周囲から置いて行かれてしまう」感が恐ろしい。
なぜなら、とても正論に見えるし、
周囲からも、それは認められる生き方だからだ。

私にとって、兄弟を認め、愛することは、とても時間がかかる。
同時に、この世界の価値観を求めている間は、両立が難しい。
この世界から私が認められるためには、
何をどこまでやっても、果てがなく、ゴールもないから。

永遠に追い続けることができるし、
この世界の常識ともガッチリ合っているから、
それを理由に兄弟たちをいじめ抜くこともできる。

昨日の夜も「明日までに○○して、××して・・・」と考えていると、
自分が速いテンポで動いているのに、
テレビを見て「ガッハッハ」と笑っている家族にイラッとする。

そこで「えっ?」とようやく気づいた。
そして「この世界の価値感って、重要なことなんだろうか?」と考え始めた。
キリキリイライラしているよりも、
家族と一緒にリラックスして、世界を楽しむ方が有意義な過ごし方なのではないだろうか?

奇跡は赦し、自我は断罪する。
どちらも、これ以外の定義を必要としない。
たが、これ以上に確かで、これ以上に救済の本質に合致している定義があるだろうか。
ここには問題と答えが同時にあり、両者がついに揃ったからには、どちらを選ぶべきかは明らかである。
地獄が地獄だと認識されたとき、それを選ぶ者がいるだろうか。
そして、道のりは短く、自分のゴールは天国であると理解できるときに、あと少しの間進み続けることを嫌がる者がいるだろうか。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編C-2.10:1より

奇跡という言葉の意味。
これは明らかに私が思っていたものと違っていた。
だから、最初はとまどうことも多かった。

でも、本当の意味の奇跡は、自らが起こせる尊い行為だ。
自然にぶわっと急に向こうから勝手に来るものではない。

今までと全く違う物の見方ができ、
世界を認識する方法が変わり、
兄弟をまるごと赦せるということ。

まだまだできない。
ちょっとしたことで兄弟に罪を背負わせたくなる。
だけどそれを行った時に「変だな・・・」と気づくことも少しずつ増えてきた。
緩やかだけど、確実に進んでいる。

そんな小さな実感でも持つことができれば、
それが今日の歩む意欲になる。

私たちがこの世界の目標に流されず、
本当に大切にしたいことに注目して、今日を聖霊と共に過ごすことができますように。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
スポンサーリンク