奇跡講座 マニュアル編 27. 死とは何か

蓮

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より27. 死とは何か

ヤル気が上がったり下がったり・・・
仕事に対してだけではなく、動作全般に対して「動きたくない」。
気持ちの問題なので、聖霊に相談してみたら即答で
「ただ淡々と進めなさい」でした。

ヤル気を出して進めなくてはならないのではなく、
やるべきことを今できるペースで進めることが大切のようです。
ということで、いつもより遅い書き始め+アップです。

もし何にとってであれ死というものが実在するのなら、生命は存在しないことになる。
死は生命を否定するものである。
だが生命に実在性があるのなら、死が否定される。
ここに妥協の余地はない。
恐れの神か、愛の神か、どちらかしかあり得ない。
世界は無数の妥協を試みており、これからも幾度となく妥協しようとするだろう。
そのどれ一つとして、神の教師たちには受け入れられないものである。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-27.4:2より

死があるから、不安定さや変化がある。
そしてそれを神が望むのであれば、そして彼はずっとこの様子を眺めているのであれば、
彼はただ単なる創造主であり、神という単語では表すものではないだろう。

私にとっての神とは、生まれ落ちた環境も、もって生まれた才能も関係なく、
宗教も住んでいる国も人種も性別も関係なく、
すべての人を平等に愛し、貴び、大切にするもの。

だから、イスラム教の「神を偶像化してはならない」というのは大筋合意。
だって神の存在って、この一部分を限定して体現している人間からは表現できないもの。
私たちが神と同じ位置にたって、ようやく彼のすべてを表現できる。
だから、今は言葉で表しても、偶像化しても私たちの枠を越えない限定的なものになる。

神は苦しむ私たちを見て、楽しんでいるわけでも、面倒くさいから見過ごしているわけでもない。
「悪夢を見ていないで、目を覚ましなさい」と優しく揺り起こしているだけ。
私たちの方が勝手にフテ寝しているような状態なのだ。

神の世界の、神と一緒にいることの何がイヤで寝ちゃうことにしたんだろう・・・
私はよくフテ寝して、無理やり時間を動かすこともあるので、そう考えちゃう。

目覚めるために、聖霊やすでに神に近い存在に頼らないとなぁ~
今の、仕事をしている間、まったく思い出さない、という状況が続いても、
ちっとも進歩がない気がする。
とは言え、これが私の学びのペースなので、焦らず受け入れることなのだろう。

今日はタイマーかけて、
(そもそもタイマーかけてるのに、どうしてその時に1秒でも神のことを考えようとしないのだろう)
なんとか思い出す機会を作るようにします。

愛と共にあることができますように☆

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