奇跡講座 マニュアル編 26. 直接、神に到達することはできるか

雨

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より26. 直接、神に到達することはできるか

彼らはもはや目には見えないが、今でもその姿を思い浮かべて頼りにすることができるからである。
そして彼らは姿を現すことが助けになる時や場所で、姿を現すだろう。
そのような出現を怖がる者たちには、彼らの想念を与えてくれる。
彼らに呼びかけて、無駄に終わることはない。
また、彼らは、誰のことをも気づいている。
すべての必要についても知っており、すべての間違いは彼らに認識され、見過ごされている。
いずれ、このことが理解されるときがくるだろう。
それまでの間、彼らを頼りにし、ただ彼らの名のみによってすべてのことを求める神の教師たちに対し、彼らは自らの贈り物のすべてを与える。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-26.2:2より

悟りを開いて天国に近しい人たちは、
このように私たちに叡智を与えて下さるんだなぁ~

過去に(きっとつい最近も)声にならない大声で天に向かって叫んだのも、
彼らはすべて知っているし、聞いている。
だからこそ、私は何度も道を外れながらも、
結局は奇跡講座に戻ってくることになっているのだろう。

その時の気持ちは
「あぁ、そうだ、誰に強制されてるワケでもなく、
進捗を誰かと競ってるワケでもないから、奇跡講座にまた取り組もう。
なんとなく、あれを進めてるときは、気持ちが穏やかな気がする・・・」
この程度だ。

多くの人と比べて、私が何かに突出しているわけではない。
頭が賢いわけでも、神秘体験に突入しているわけでも、リッチなわけでもない。
特別に選ばれていない(すべての人が選ばれているから)多くの人の一人。

きっと何度もそういう人たちから応援をもらっているのだろう。
私はすべての時間が終わっていると思っているので、
時間の終わった場所から自分を応援する私もいるのだと思う。

救済とは理論上のものではない。
問題をよく見て、その答えを求め、答えが訪れたときには、それを受け入れなさい。
また、その訪れを長く待たされることもないだろう。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-26.4:5より

想念という形で、見えないものからも応援されているのであれば、
今朝もいろいろなものをもらっている。
けれども「これ、難しいと思うから、外に出さないでおこう」と仕舞い込むことも多い。

今日はそんなことをあまりしないようにしよう。
きっと、出していくことで、何か変化があるのだろう。

とにかく聖霊と大いなる存在と共にあることを自覚しよう。
すべてはそこから生まれているのだから。

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