奇跡講座 マニュアル編 23. 癒しにおいて、イエスには特別な役割があるか

虹

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より23. 癒しにおいて、イエスには特別な役割があるか

私たちが学べることをはるかに超えて、学んだ者たちがいる。
また私たちは、自分で自分に課した限界について教えるものでもない。
真の献身的な教師となった者は、兄弟たちを忘れない。
だが、その教師が兄弟たちに差し出せるものは、彼自身が自分で学んだことにより限定される。
それならば、すべての限界を退けて学びの最先端を超えていった者に、頼りなさい。
彼はあなたを一緒に連れて行くだろう。
彼ひとりで超えていったのではないからである。
そしてそのときも、あなたは、今と同じように、彼と共に居たのである。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-23.6:4より

朝からだるく、ヤル気がないのか、
体調が低下しているのか良く分からない中、
時間がどんどん過ぎていくので、気ばかり焦る。

自分のテンポを決めているのは自分なのに、
周囲の人のゆったり感がうらやましくなる。
「いいなぁ、ヒマそうで・・・」

憂鬱な気分におちいっていると思う。
だから、今日のセクションを読んで、
神と共にいると同時に、イエスと同時に居ることを想像してみた。

そこで分かったことは、私は行動の選択を聖霊に預けることを怖がっていること。
自分で勝手に目指しているこの世界的なゴールがあって、
それが聖霊にはまったく見えておらず、
彼らに従うことは、この世界のルールから大幅に外れるののではないか?
そこに大きな不安を抱いていることが分かった。

当たり前のことだ。
自分が望んで作り上げたこの世界の概念について、ルールについて、
私は何年という今生だけの話ではなく、
何世代も、何百回も生まれ変わって、望んで身につけたものだから。

その不安が、やっと出てきた。
今までは「天国に帰るためなら、それを最優先にしてみせる!」と思い、
見ないように、フタをしてきた部分。

それが見えるようになってきたことと、
その部分があまりにも巨大なことがわかったことで、
私はそれを除去することに対して不安を持っているから憂鬱なのだ。

そんな今だからこそ、イエスの手助けが私には必要なのだろう。
今日のセクションを読んでいて、言葉では納得できる。
心の部分で納得できるかどうかは、実践していくしかないと思う。

自分が無力で判断能力がないと認め、
すべてにおいて彼らの判断を仰ぐこと。
そして、それを行動に反映させていくこと。

幸い今日は休日なので、あまり心を波立たせることは起きないだろう。
働いている日に全部を委ねることは、さらに不安が伴う。
だからこそ「今日の分」として、このセクションが用意されているのだ。

明日に到達するまでに、今日がある。
今日はできるだけ多くのことを彼らに委ねたい。
それによって、私の中の不安が少しでも取り除かれ、
正しい道に沿って歩むことができますように。

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