奇跡講座 マニュアル編 21. 癒しにおける言葉の役割は何か

タチアオイ

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より21. 癒しにおける言葉の役割は何か

奇跡講座をどのような形であれ、
伝えていくことを一生の役割と決めた私にとって、
今日のセクションはとても重要です。

ときには、言葉と祈りが矛盾していることもあれば、ときには、一致することもある。
これは問題ではない。
神は言葉を理解しない。
言葉というものは、分離した心が自らを分離の幻想の中にとどめておくために作り出したものだからである。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-21.1:5より

その人が悟っているかどうか、神の安らぎの中にあるかは、
その人の発する言葉からでは分からない。
重要なのは、その人の心の状況であり、行動や言葉ではない。

だから「この人混乱してるなぁ~」と思っても、
その人はゆるぎない安らぎの中にいるのかもしれないし、
反対に、ものすごーく穏やかで落ち着いていて悟っているように見えても、
心の中では嵐が荒れ狂っていることもある。

それは、周りからいくら見ても分からない。
本人にしか、それは分からない。
だから、比べることが無意味だったりするのだ。

私たちはいくら兄弟たちのことを知っても、どんな風に見えても、
ほんとうにその人の心の位置を知ることはできないから。

それでは神の教師は教える際に、言葉の使用を避けるべきなのだろうか。
決してそうではない!
まだ沈黙の中では聞くことのできない多くの者たちがいるので、彼らには言葉を通して伝えなければならない。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-21.4:1より

この聞くことのできない人たちのために、
自分が適切な言葉を使えるだろうか?なんて心配することはない。
言葉すらも聖霊が選んでくれるから。
私はただ「お任せします」とさえ、すればいい。
(なかなかでしゃばりだから、難しいけど・・・)

神の教師の学びのこの側面における主要な妨げは、自分の聞いていることの妥当性について彼が抱く恐れである。
そして彼に聞こえることは、実際かなり驚くべきことであるかもしれない。
実際、かなり気まずいと見えるような状況にこの教師を直面させたりするかもしれない。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-21.5:1より

まだまだこんな場面で聖霊に従うことができるかどうか・・・
私にとっては、やっぱり「言われたらできること/言われてもできないこと」がある。
そして難しさというのも存在する。

だけど、こういう部分を一切排除して、
いつも神と居る状態だったのがイエスなんだよなぁ~
彼は神の言葉以外は聞いていなかったのだから。

少しずつでもいいから、神と過ごす時間を増やす。
聖霊に聞く。
日々の積み重ねで。

どのくらいかかるか、なんて気にせずに。
昨年よりも今日、一ヶ月前よりも今日、
自分に愛の分量が多いかだけが比べる指標。

今日、セミナーで直接の関係はないけど、
誰でも見た人はかわいそうに思い泣ける動画を見せられた。
直接の関係はないのに、こちらの感情を強引に動かして
次の行動に持っていこうとする相手に苛立ちを覚えた。

でも、そんな時に「この気分はイヤだな・・・」と思い、
聖霊にお任せすることにした。

今日もそろそろ終了ですが、
昨日よりも愛ある存在になれていますように!

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