奇跡講座 マニュアル編 17. 神の教師は、魔術的想念にどのように対処すべきか

やっと夜明けが。

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より17. 神の教師は、魔術的想念にどのように対処すべきか

ここ数日間、リアルの出来事がマニュアル編の内容とリンクしていて、
私にとって一つの大きな壁なんだなぁ~と思います。
奇跡講座での学びがなければ、越えられず、
逃避したり、なかったことにして押し込めたくなるような出来事。

こういう自分にとって苦しいときは、
救済の手も十分に差し伸べられていて、
奇跡講座の言葉だけでなく、友達からの気遣いの言葉や、
ニュースから感じることにも救われました。

そしてようやく。
先にもっとでっかい山場があるのかもしれませんが、
今日のところは、今のことについては、何とかなるかもなぁ~と思い、
ブログを書き始めることができました。

しかし疲れました。
怒ること、相手を拒絶すること、攻撃することは、
かなりエネルギーを使います。
時間もエネルギーももったいないなぁ~と思うけど、仕方ない。

いやいや、実際のところ、そんなものは何も存在していなくて、
今回、私が、分離の道を選んだのか、神に近づく道を選んだのか、
それだけが重要。
かかった時間も消費したエネルギーも問題ではなのです。

誰も事実に対して怒ることはできないと覚えておくことが、おそらく役に立つだろう。
否定的な感情を引き起こすのは常に、解釈である。
たとえ、事実のごとく見える何かがそうした感情を正当化しているように見えていても、それとは無関係である。
また、喚起されている怒りがどのくらい激しいかということとも、無関係である。
その怒りは、はっきりと認識することすらできないような単なる軽いいらだちかもしれない。
あるいはまた、激しい激怒の形をとり、それに伴って暴力の考えが空想されたり、目に見えるように行動に移されたりするかもしれない。
そうしたことは問題にならない。
これらの反応はすべて同じものである。
それらはみな真理を覆い隠すのであり、このことは決して程度の問題とはなり得ない。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-17.4:1より

何度もこの部分を読み、自分のことを当てはめる。
確かに事実は事実。
どうして自分が怒りを感じるかというと、事実に対する自分の解釈に対して。

解釈なのだから、誰が解釈するかで全く変わってくる。
同じ事実を見て、怒りを感じず、そこに喜びを感じる人もいるだろう。

「どうして私だけがツライ思いをしなくちゃいけないの?」
ここに何度も引っかかりながら、やっぱり奇跡講座を読む。

怒りは事実からではなく解釈から生じるというのなら、怒りは決して正当化できない。
たとえぼんやりとでもこのことが把握されたなら、道は開かれる。
今や、次の一歩を踏み出すことが可能になる。
ついに解釈を変えることができる。
魔術的想念は、咎められる必要はない。
なぜなら、それらには実際に罪悪を生じさせる力はないからである。
それゆえに、それらは看過され得るものであり、真の意味で忘れることのできるものである。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-17.8:6より

看過し、真の意味で忘れる。
今回のことについても、そのように対応できていますように!

兄弟がいなければ、こんな苦しい思いをしなくてすむのだけど、
兄弟がいなければ、自分の神からの分離に対する罪悪感を取り出して目の前で見ることはできない。

真の意味で心が穏やかになるためには、
この面倒臭さを一つずつクリアにしていかなくてはならない。

だから、神の教師よ、怒りとは存在していないのものを一つの現実として認識することだと覚えておきなさい。
しかし、その怒りは、あなたがそれを事実として信じているということの確かな証拠である。
そうなったときあなたは、自分は自分自身の解釈に応答したのであり、その解釈は自分が外界に投影したものだということがわかるまでは、脱出不可能となる。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-17.9:7より

以前も書いたかもしれないけれど、
私は自分のことを怒りをあまり持たない人だと思っていた。

だけど、それは、自分の中の怒りを見ていないだけだった。
例えば通勤電車の中でイラッとしている自分にも気づかなかったし、
同僚に対して怒っていることも当然の権利だと思っていたので「怒り」と思わなかった。

自分自身のとても勝手な解釈で、
私の中の怒りは、怒りではないもの、と見なされてきた。

奇跡講座の世界に入って、
自分の感情を追いかけることができるようになったとき、
こんなにも自分が怒りに染まっている人間だということを認識できるようになった。

それはとても残念なことで、
それらを解放できたという状態を想像すると、
うんざりするほど時間がかかりそうだけど、
もうここまで気づいちゃったもんなぁ~

最後には、機会を与えてくれた兄弟たち一人ひとりに涙を流しながら感謝するのだろう。
そこに至るまで、今日も少しでも一歩を踏み出します。

私たちの中にある善きものが、
今日もしっかりと導いてくれますように!

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