奇跡講座 マニュアル編 14. 世界はどのように終わるか

ひらひら

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より14. 世界はどのように終わるか

祖母が他界し、実家に数日間戻っていました。
家族、親戚たちと多く語り合いましたが、
自分が特定の宗教に対して偏見を持っていることと、
あるグループ内で話している時はお互いにその意識を助長することが分かりました。

そこで「あれ?」とようやく気づきました。
宗教や生活背景で人を区別することは、
「あの人の○○なところがキライ」と性格で誰かを遠ざけることと何ら変わらないこと。

自分がイヤならば、その宗教に入らなければいいだけで、
その宗教で活動している人たちにとやかく言う必要はありません。
その人たちの生き方として受け入れる、ですよね。

物事には大小がないので、ある宗教の人たちを受け入れることは、
トマト嫌いな人の意見もその人の生き方として尊重することと同じ。
(私はトマトが好きなのです!)

トマト嫌いだからといって、その人を仲間外れにしたり、
トマト好きにしようと働きかけたりしません。
それと同じ。

それと、なんだか祖母がいなくても、そんなに悲しくなくて。
離れている期間が長かったからかもしれません。
介護する側とされる側がひどい言葉で罵り合うのをもう見たくなかったからかもしれません。
はたまた素敵な一体感を祖母との間に感じているかもしれません。

理由はよくわかりませんが、悲しくありません。
他の人に対してもそうだといいなぁ~(楽なので)
そうもいかないでしょうけど☆
特に今同居している家族や、毎日顔を合わせるスタッフの場合は。

世界の思考体系が完全に逆転したときに、世界は終わる。
それまでは、世界の思考の断片の数々が、依然として良識あるものに見えることだろう。
世界の終わりをもたらす最後のレッスンは、世界を離れてその狭い領域を超えて進む用意がまだできていない者たちに、把握できるものではない。
それならば、この締めくくりのレッスンにおける神の教師の機能とは何だろうか。
彼に必要なのは、どうすればそれに近づけるかを学ぶことだけであり、その方向に進もうという意欲をもつことだけである。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-14.4:1より

更新できない間、ずっとこのセクションを読んでいました。
毎回読むたびに「そうだよなぁ」と思った部分です。

進む用意がまだできていない人たちに、私たちができることは、
彼らに働きかけることではなく、
私たちが進む、進む意欲を持ち続けること。

そこに優劣つけるわけでもないので、
彼らに劣等感を抱かせるのは間違い。

奇跡講座を学んでいて、変えるべきは自分以外にない、
ということを何回も繰り返し、思い知らされます。

いろいろな本や、人の話を聞いても同じことが出てきますが、
やはりそこなのだな、とかみしめています。

今日も私たちが聖霊と共にあることができますように。
少し道をそれても、心の中の小さな灯をまた見つけることができますように。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
スポンサーリンク