奇跡講座 マニュアル編 11. どのようすれば、この世界で平安が可能となるか

きのこ

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より11. どのようすれば、この世界で平安が可能となるか

昨日、家族からずっと一人で貯めていた悩みごとを聞きました。
その悩みは緊急性を要するもので、ずっと家族の重荷となってきていたようです。

私にとって、とても不思議なことは、
緊急性を要するのに家族が何も対応策をとっておらず、
かといって、誰かに相談して悩み解決進行中でもないことでした。

対応策を打たねば、それは時間がたつごとに悪化していくのに、
家族はじっと息を潜めていれば問題が自分の上を通過してくれるだろう、
と思っていたかのよう。
(実際にどう思っていたかは分かりませんが、現実的な行動を取らなかったことから)

その状態に気づいていながら何年もたっているようでした。
そこで思ったのは「苦しい状況ですら【慣れる】ことができる」ということ。

悩みを抱えていることに慣れ、
表層に出てきた段階で何回か無意識に押し込み、
それを繰り返すうちに、問題はまったく解決していないのに、
問題が存在し続けることに慣れてしまったのだなぁ~と。

そんなでっかいものを、
テキトーに自分の中に隠してしまうことができることに驚きましたが、
大きな事柄でなければ、誰もが(もちろん私も)日常的にやっていることなのでしょう。

そう考えると、自分が真実をどのように暗闇に押し込んだのか、
苦しいのに脱出しようとしない理由も分かる気がします。

家族の悩みは、私にも関係することなので、
以前ならは、それを聞いた瞬間に家族を責め、状況が私に恐怖を感じさせ、
即決即断をその場で迫り、怒りながら今日から解決行動を取ることを迫ったでしょう。
でも、ありがたいことに、私はそうしませんでした。

神の言葉は、ここで平安が可能だと約束してきた。
そして神が約束することが不可能であるはずはない。
しかし、神の約束が受け入れられるには、この世界は違った見方で見られる必要があるということも真実である。
世界のあり方は、事実であるにすぎない。
それが何であるべきかを、あなたが選ぶことはできない。
しかし、それをどのように見たいかは選択できる。
実際のところ、あなたはこれを選択しなければならない。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-11.1:7より

平安のうちに在りたい。
そう思うなら、そういう選択をすること。
今日のセクションに書いています。

神は世界に救済を差し出している。
あなたの判断は世界を咎めようとする。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-11.2:4より

責めずに、解決策をお互いに探すこと。
問題が再浮上してきたことに恐れを感じている家族に、
即断即決を迫るのではなく、心が落ち着く余裕を与えること。
しかし、解決のための道のりとして、次回の話し合いを設定し、お互いに考えること。

とにかく怒りや相手を咎める感情は置いておいて、
私が求めて作り出した世界だと認め、
聖霊に判断をゆだねつつ、進めること。

いつもなら、同種の話をすると、
家族が逆ギレして、話し合いにならない、という状況でしたが、
昨晩はもう少しマシな状況で時間を持つことができました。

状況をどのように作るかは自分の選択次第。
相手次第、ではないのだなぁ~とつくづく思いました。

争いを眺めている者たちに、平安はあり得ない。
平安を差し出す者たちには、平安は必然である。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-11.4:1より

今日も聖霊と共に、平安を差し出すことができますように。
選択は私たちに与えられているのですから。

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