奇跡講座 マニュアル編 8.どうすれば難しさの序列を知覚することを避けられるのか

藤

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より8.どうすれば難しさの序列を知覚することを避けられるのか

マニュアル編を読む毎日ですが、
「助かるなぁ~」と心から思います。
テキスト編ワークブック編、かなり難しかったからです。
慣れない硬めの日本語が難しかったのか、今までの常識とまったく違う話だから難しかったのか。
どちらにせよ「この部分、よく分からないなぁ~」とほぼ毎日、そういうセンテンスがありました。

だけど、そんな私にマニュアル編は優しい!!
今まで分からなくて棚上げにしていたことも解消されそうです。
読んでいて、すんなり理解できることがこんなにも嬉しいなんて!

と、感激できるのも、テキスト編/ワークブック編に真摯に向き合ってきたからなのでしょうね。
今、テキスト編/ワークブック編を読み進めてらっしゃるみなさん、
難解さに疲れたら息抜き程度でマニュアル編にいらっしゃい(笑)

目が伝える数々のメッセージを解釈し、それらに「意味」を与えるのは心である。
そしてこの意味は、外側の世界にまったく存在しない。
「実在するもの」と見なされているのは、単に心が好んでいるものにすぎない。
心が定めた価値の順位が外に投影され、心は肉体の目にそうした順位をみつけにいかせる。
肉体の目は、差異を通さなければ、決して見るということをしない。
しかし、知覚の土台となるのは、それらの目がもち帰るメッセージではない。
心だけがそれらのメッセージを評価するので、見ることに責任があるのは心だけである。
心だけが、見えているものが実在するのか幻想なのか、望ましいのか望ましくないのか、楽しいことか辛いことかを決めるのである。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-8.3:4より

大きい小さい、強い弱い。
こんな意味は本来は目の前にあるものたちには、くっついていない。
それを結び付けているのは自分の心だけ、という話。

奇跡講座を学び始めてから、ずっと
「すべてが同じように見える目が欲しい。出会う人たちがすべて同じ姿かたちだったらいいのに!」
と思い続けてきましたが、私たちに視力がある以上、そんなことは無理。

だけど、意味付けしているのは、目ではなく心。
心がすべての人に対して平等に開かれているのであれば、
見えるものはすべて同じ感動を私の心に届けてくれるものとなる。

肉体の目は差異を見続けるだろう。
しかし、自らに癒しを受け入れた心は、もはやそれを認知しなくなる。
その後も他の者よりも「病んでいる」ように見える者たちはいることだろう。
そして、肉体の目は、以前と変わりなく彼らの外観の変化を報告するだろう。
しかし、癒された心はそれらの外観をすべて同じ範疇に分類する。
すなわち、それらは実在していないという範疇である。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-8.6:1より

先ほども書いたように、すべてを同じように見たいと思い続けてました。
そして、学びが進むと、目に映るものが変わるのだと思っていました。
そうではない、ということが分かって、単純な仕組みに安心しました。

目に映るものは、今までもこれからも変わらない。
だけど、心がどう反応するか、が変わるので、相手から受け取るものが変わってくる。
その仕組みに、とても納得できました。

今日も一つでも多くのことを、聖霊と一緒に判断できますように!

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