奇跡講座 マニュアル編 7.癒しは繰り返し行われるべきか

おとずれること

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より7.癒しは繰り返し行われるべきか

今や、神の教師が進むべき道は一つしかない。
自分の理性を使って、「失敗するはずのない存在に、すでに問題を預けてある」と、自分自身に言い聞かせなければならない。
そして、自分の不確かさは愛ではなく恐れであり、したがってそれは憎しみだということを認識しなければならない。
こうして彼の不確かさは維持できないものとなる。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-7.2:4より

こういう時、所に理性を使うんだなぁ~

相手に愛を差し出したとき、
その結果がいつ、どんな形で出てくるのかについて、
私達はただ信頼する。

疑う気持ちがでてくれば
「失敗するはずのない存在に、すでに問題を預けてある」
と、言い聞かせる。

ある人に対して、愛ある態度で接したとき、
私の目に効果がすぐに見えないこともある。
だけど、信頼して待ってみると、
やっぱり効果が見えて「間違いじゃなかったんだ」と気づく。

だけど、同じ人から翌日にまたネガティブなひっかけを受ける。
「あれー、昨日はお互いに仲良くなった気がするけど、今日はまた元通りなの?」と思う。
その時に、やっぱり信じて、愛ある態度で接する。

効果を期待するのではない。
効果は必ずあり、渡した瞬間に相手がすでに癒されていることを信じる。
信じられない場合は、自分が癒されていないから、
働きかけ、変えるものは自分の中にある、と認識すること。

案じ続けることが攻撃だと言われたなら、はじめは確かに理不尽なことのように思えるはずである。
それはどこから見ても愛のように見える。
しかし信頼のない愛は不可能であり、疑念と信頼は共存できない。
そして憎しみは、いかなる形を纏っていようとも、愛とは正反対のものに違いない。
贈り物を疑わずにいなさい。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-7.4:4より

疑念が攻撃だとバシッと言ってくれるのがいい。
自分の思考は愛から生ずるか、攻撃から生ずるかの2種類しかない。
中間はない。

頭は良くないし、
習慣づけにも時間がかかるほうだから、
分かりやすく、シンプルに、バシッと表現してもらえる方が助かる。

自分が何を望んでいるかをはっきりさせなさい。
そうすれば疑念は不可能となる。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-7.6:9より

奇跡講座に出会ってよかったなぁ~とつくづく思う。
私は人付き合いが苦手で、苦手なので嫌いだった。
一人で黙々と作業できて、それが評価される仕事ならどんなにいいか!と思っていた。

それができるかも?と思ってやってみたこともあるけれども、
結局は売り込みが苦手だったり、ファンになってもらってもその人たちを維持できなかったり。
まったく商売にならなかった。

自分で商売できないから、フツーに会社勤めをすることにして数年。
一番下っ端で上から指示されたことに応えたり、文句つけたりで自由にやっていた。

数年たったら、管理職におされ、給料を下げないために引き受けた。
引き受けたら、今度は関わらなくてはならない人の数が爆発的に増えた。
もう上司のほうだけを見て、彼の対応だけでは仕事が回らなくなった。

その時にまた悩む。
「私は人付き合いが苦手なのに、やっぱり人と関わらなくてはならなくなってしまった」と。
そこでとある人と会い、その悩みを相談したところ、こう言われる。

「私も人付き合いが苦手でした。
だけど引きこもりになっても、必ず人とは関わっていかなくてはならない。
生きていくためには、人と関わらないでいることは不可能なんです。
例えばネットのやり取りだけで生活していたとしても。
ならば、仕方ない、と諦めることにしました。」

これを聴いて、私も人と関わらない、という人生は諦めました。
そりゃ、インドの山奥で一人修行してけば、なんとかなるのかもしれない。

そこから逃げることをやめた。
逃げずに見つめることをはじめると、相手のイヤな部分は私のクセだという発見があったり、
その発見から自分を変えると、相手の反応も変わることが分かったり。

逃げることをやめたとき、
ようやく私は奇跡講座を本当の意味で実践していく準備が整ったのだと思います。
今まで中に中に知識として貯めこんできたものを、今はひとつずつ実践中。

だから今、また「それについての効果は疑ってはならない」という教えに到達しています。
聖霊が用意するカリキュラムは、それぞれのペースに的確に合っているのです。

今日も聖霊を信頼して、真理への学びの道を一歩すすむことができますように。

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