奇跡講座 マニュアル編 4.神の教師たちの特徴はどのようなものか III.寛容さ

ちりぬる

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より奇跡講座 マニュアル編 4.神の教師たちの特徴はどのようなものか III.寛容さ

裁きがなければ、すべてのものごとは等しく好ましいものである。
そのとき、それ以外の判断ができる者などいないからである。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-4.III.1:8より

裁く心がなければ、穏やかに生きられるだろうなぁ~
「どうしてこんな時間まで寝てるの?毎日こんな生活してるの?」
と、今、この瞬間も兄弟を裁く心がある。

その人なりの理由があって寝ているのだから、
私が裁く必要はないだろう。
というのは、この世界的な考え方で、
そもそもこんなこと発生していない、夢の中だし。
と思うのが、奇跡講座/コース的な考え方、かな。

この他者の生き方に口を突っ込みたくなる、というか、
他者の生き方にケチをつけたくなる気持ち。
どうしたものだろう。

私にとって「良い生き方/悪い生き方」が存在し、
良いと思う生き方をしている人=良い人と思い、
その人をみて、自分の生き方にケチをつけ、
悪いと思う生き方をしている人=悪い人と思い、
その人を見て、その人の生き方にケチをつける。

なんなんだろう。
結局はいつも誰かにケチをつけている人生なのだ、私の人生。

改めてバカみたいに思うから放棄したいけど、できない。
私のこの世界に置いておきたい「価値」なのだろう。

これが放棄できれば、でっかいなぁ~
すごく学びは進むと思う。

でも、少しずつは進んでいる。
先ほど、友人から相談を受けて、
以前なら「それでは子どもがかわいそう!」と親である友人を責めてた。
でも今回は「友人は悪くないのだ」というところから考えてみた。

そもそも出発点を、今までとは変えてみることができた。
私にとってはとても大きなこと。

友人は悪くない。
もちろん周囲の人も悪くない。
では、今起こっている状況はいったい何なのか?
それを物事すべてにあてはめていけばいいのだ。

もちろん一番最初に出てきた「こんな時間まで寝ていて!」についても。
昼まで寝ていても「あぁ、そうなんだね」と判断せず、裁かず、事実として受け入れる。

その先にどんなことが、どんな世界があるのだろう。
ちょっと楽しみになってきた。

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