奇跡講座 マニュアル編 3.教えることにおけるレベルとは何か

まだかな?

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より3.教えることにおけるレベルとは何か

たとえば、エレベーターの中で明らかに赤の他人である二人が「不意に」出会うとか、前も見ずに走っていた子供が一人の大人に「偶然に」ぶつかるとか、二人の学生が「たまたま」一緒に歩いて帰る、といったことである。
こうしたことは、偶然の遭遇ではない。
そのどれもが、「教えて学ぶ状況」となる可能性を含んでいる。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-3.2:2より

今朝も電車が混み合っていたので「これと同じ状況だよなぁ~」と思いながら通勤。
2~3人とのやりとりについては、意識的に対応することができたのだけど、
最後の一人に対してだけ、自分の利益を優先させる行動を取ってしまった。

電車で立っていて、隣の立っている人が下りたので、
そちらにすかさずスライド移動した。
その時、隣の人の後ろに立っていた男性もいて、
その人も、私と同じ場所を狙っていたのが分かったから、
ちょっと押し出す形に移動してしまった。。。
後ろの人は「ちえっ」って思っただろう。
パーフェクトにはいかないものだなぁ。

こんなことはいくらでもあることなので、
次に巡ってくる学びの瞬間はきちんと学べばいい。

私が出会うすべての人について「偶然はない」って気が遠くなるくらいすごい。
それは私だけに施されているのではなく、すべての人に同じことが言えるのだから。

彼らはしばらくの間、あるいは生涯にわたり、互いにひどく敵対していることさえあるかもしれない。
しかし彼らが学ぼうと決断すれば、完璧なレッスンが目の前にあり、それを学ぶことができる。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-3.5:5より

学ぼうと決断すれば、完璧なレッスンが目の前にある。
そうなんですよね~
いつもレッスンは目の前にあって、完璧だけど、
それを学ぼうとするか、避けよう(延期)とするかは私たち次第。

言葉では「学びが最優先です、悟りたいです!」と言うけれど、
聖霊から見れば「いつも口ばっかりなのね~」と思っていることでしょう。
決心したつもりなのに、私は学びのレッスンを後回しにすることが多いから。

そんな今までのことを気にしても何も変わらないので、
今日、この瞬間から実践できるか?
聖霊と共に一日を過ごす努力をしようと思います。

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