奇跡講座 マニュアル編 2.生徒たちとは誰のことか

松に降る雨

今日は「奇跡講座 マニュアル編」より2.生徒たちとは誰のことか

感情的に落ち着いていて、
電車の中で見知らぬ人からのつっかかりにも順調に対応できていた頃。
そんな時に、やはり家族関係でイライラする事柄が持ち上がるんですね・・・

今回は一つ乗り越えられた!と思っていただけに、
「この人はどうしてこんなことをするんだろう?」と、
「私は尽くしているのに、相手が悪い!」という罪のなすりつけ状態に。

正しい/正しくないで考えると、
自我の視点は「私の方は絶対的に正しい!」になるので、
家族との件については、一晩たって少し自分が落ち着いたことから、
聖霊に判断をあおぎつつ、対応してみたいと思います。

相手が遠くにいるときは、メールなどでの連絡になるから、
自分の文章を読み返したり、心の余裕があるのですが、
面と向かったときに、感情に任せず、聖霊に判断を仰ぎ続けるのは、
とても難しいですね。と、毎回のことながら思います。

そのようにして、生徒と教師が、あたかも以前には出会ったことがないかのように互いを見出し、存在において合流するように見える。
生徒は、ふさわしい時期にふさわしい場所にやってくる。
これは必然である。
中央アート出版社)奇跡講座 マニュアル編M-2.4:3より

生徒というのは、一緒に道を歩む兄弟と考えていいのでしょうか。
私の場合は、日頃ああでもない、こうでもない、と苦慮している家族のことでしょう。

他人と一緒に暮らすという判断はそれなりに厳しく行ったつもりですが、
フタをあけてみると「ええっ、こんな人だなんて聞いてなかった!」ということが満載。
最初からこれが分かっていれば、判断を間違えることはなかった。

・・・というのは、本当によくある話でしょう。
学びに対する準備というのは、上手く整うものなんですね。
タイミングも場所も、すべて私が学ぶことに対して完璧です。

なんせ、取り組みはじめた時から
「この人を赦すことができるのであれば、私はさとりを開けるに違いない」
と思うくらい、大きな私にとっての人生の障害であったからです。

少しずつ学びが進んで「おっ、もう当分大丈夫かな?」と穏やかに過ごしていても、
2~3日以内に事件を運んできてくれるので、
私は学びの材料を探しに行かずとも、いつも簡単に次のものがやってきます(笑)

家族というものは、いつも身近にあって、
奇跡講座/コースのための学びにとても便利です。
今回は聖霊にきちんと判断を委ね続けることができますように。

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