奇跡講座のテキスト。第30章Ⅷ不変なる実相

蝋梅

今日は「奇跡講座 テキスト編」より30-8 不変なる実相

あと一歩で最終章の31章。
大丈夫なんだろうか?とドキドキしています。

読み終えたからと言って、何かが変わるわけではありませんし、
今まで2度は他翻訳で通読しています。
やっぱりこのブログを書きながら読んだことが大きく影響しているのでしょうか。

ちょうど機会があり、2年以上前に書いた部分に触れたりしています。
あの頃はこんなに時間がかかると思ってもなかったし、
あっという間に読み通すこともできるし、
あっという間に自分のものとして消化することができると思っていました。

とんでもございません!(笑)

自分の状況を捕える姿勢が謙虚になったのか、
奇跡講座/コースの教えの深遠さが理解できたのか。
それは、きっと両方でしょうね。

とにかく、ワークブック編テキスト編やってみて、私が思ったこと。

「こりゃ、一生かかるわ・・・」

今の時点でそんなに時間がかかると予想できても、
それでもトライしていこうと思える。
そんなモノに出会えたことに感謝ですね。
「感謝の気持ちでいっぱいです」なんて、素直系お嬢さんみたいな感想は言えませんが。

最終章を目の前に気持ちがワサワサしているからか、
なかなか今日のセクションの言葉が頭に入ってきません。
読んでいても素通りしているような気がします。

誘惑とは、幻想を実在のものにしたいという願望以外の何だろう。
それは実相が実在しないことを望む願望のようには見えない。
しかしそれが断言しているのは、いくつかの形の偶像は、あなたが実在性をもたせたいとは思わない偶像よりも強烈な魅力をもっている、ということである。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-30.VIII.3:1より

この期に及んで
「これ以外は幻想であっても全然かまわないけど、これだけは大好きすぎる!」
という部分が出てきて困っています。
特別な関係、というものなんでしょうね。
私の場合は人間ではなく、自分の猫なのですが。

家族も友人も憧れの人も、
すべて幻想ならばそれでもいいと思えますし、
いっそ幻想であれば、どれほど気持ちがスッキリするだろうか、とも思います。

以前は家族が自分にとっての特別な関係であったので、
そこから進んだのか、後退したのかはわかりませんが、
とにかく状態が変化したことは確かなのでしょう。

それと、幻想であればスッキリする、と思っているのは、
すべてが面倒くさいからです。

面倒くさい、そんな感情を持ち合わせているのであれば、
これは私が希望して、現実化していることになります。
幻想としてとらえることができていれば、
何のひっかかりもなく、ただ朗らかに楽しく美しい日々となるでしょうから。

彼の内なるキリストは完全無欠である。
あなたが見たいのはこれだろうか。
それならば、あなたがこれよりも見たいと思うような兄弟についての夢はもたずにいなさい。
そうすれば、キリストをあなたのものとに来させたがゆえに、あなたは兄弟の中にキリストを見るだろう。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-30.VIII.5:5より

すべての人と関わるのが面倒くさいと思っている私は、
誰の中にもキリストを見ることができていません。

自分ならばもうちょっとできると思ってたんだけど。
そんな幻想は誰しも持つものかも。

ただ私の場合は、しっかりとみつめてみたら、
まだまだ最低ラインのところに留まっていた、
という事実も同時に見せつけられて、ショックも受けていますけど。

それでも今日も努力しよう、努力したいな、という意欲はある。
この道を外れたりしないし、捨てたりしない。
そんな最低限の意欲だけは、今日持ち続けることにしよう。

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