奇跡講座のテキスト。第28章Ⅴ恐れの夢に代わるもの

きらきら

今日は「奇跡講座 テキスト編」より28-5 恐れの夢に代わるもの

今日、ようやく仕事納め。
家族との関係、仕事上のあれこれ、
私は奇跡講座/コースを学ぶのに、これで十分だと思っている。

仕事においては、物事をすすめていくと、
なぜか「こうしなくてはイケナイ!」というのが現れて、
自分がそれを実行するのはいいけれども、
周囲の人にまで言葉ではいわないけど、
心でじっとりと押し付けていたりする。

この世界のことなんだもの。
もうちょっと気楽にいこう。

良いことも悪いこともある。
常に良いことばかりを目指してもそうならないし、
常に悪いことばかりを目指してもなぜかそうならない。

私たちができるのは、事態をどう変化させるかではなく、
自分の心をどういう方向に向けることができるか。
それだけなのだ。

私は協調性に乏しく、変わり者で、
会社の一番底辺のメンバーであれば、
先輩から「その態度はないよ~もっとみんなと会話しなくちゃ!」
なぁんて言われたり、つまはじきを受ける立場だったと思う。

だけどそこに愛があれば、すべてOKなのだ。
(今は欠けているから、ただ変わり者なだけだけど・・・)

どっちが先ではないけれども、
私には相手を赦すことも必要で、
同時に自分を赦すことも必要。

多分、ゴリゴリに固まっているこの部分が、
どちらからともなく緩んでいくのだろう。
来年はそう期待したい。

憎悪や悪意、苦渋や死、罪や苦しみ、苦痛や損失といたったものについての邪悪な夢は、それらを共有することで実在のものにされる。
共有されなければ、それらは無意味なものとして知覚される。
あなたがそれらのものを支えなかったので、恐れはそれらのもとから去っている。
恐れが消えた場所には、必ず愛が訪れることになる。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-28.V.2:1より

ちょっとチクっとしたり、
口の中が苦くなるような感覚。
そんなものも私が認めているから存在するように見えるのだ。
「支えなければ、去る」のだ。

需要と供給って、よくできてるなぁ~と思うけれど、
まさしく需要がない場所には、何も供給されない。
供給されても弱弱しい存在となり、すぐに消え去り、あったことすらも思い出されない。

支えず、入れ替わりに愛を受け入れる。
机上で語るのはなんて簡単なことだろう!
文章で語るのは簡単。
反対にリアルタイムの会話で恐れの代わりに受け入れることが苦手。

だけど、きっとこれでいい。
苦手と分かっていて、これを変えたいと思っている。
それを「自分はダメだから」とくじけずに、自分に希望を持ち続けること。

来年だってできるようになるか分からない。
でも、いつかは必ずできるようになる。
私たちは神の子であり、それが自然な形なのだから。
今の状態が不自然なのだ。

なぜなら、目や耳は分別をもたない感覚であり、見るもの、聞くものをただ報告するだけだからである。
見たり聞いたりするのは耳や目ではなくあなたであり、あなたが不揃いな断片や、無意味な証拠の破片や切れ端を一つひとつ寄せ集めて、自分が望む世界を証しするものを作り上げるのである。
肉体の耳や目に、あなたが想像した隔たりの中に見える無数の断片を知覚させてはならない。
そして、それらの断片が、それらの作り主に対し、彼が想像したものは実在すると説得するようなことさせてはならない。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-28.V.5:6より

ワークブック編のレッスン2を思い出す。
最初の気合が入っている時期のレッスンだから、覚えている方も多いだろう。

レッスン2
この部屋の中に見えているあらゆるものに、私にとっての意味のすべてを与えたのは、私自身である。
中央アート出版社)奇跡講座 ワークブック編W-pI.2より

テキスト編のかなり後半に出てきているものが、
ワークブック編のほぼ最初に基礎として教えられている。
奇跡講座/コースらしい、と思う。
出し惜しみはしない。

私はいつも自分が分かったような、
奇跡講座/コースを理解しているような気持ちでいるけれど、
ちっとも分かっていない。
ちっとも実践できていない。

だからといって、ストイックになりすぎず、
これからも自分のペースで進めていきたい。
独学で学べる。
それは奇跡講座/コースの輝かしい特徴の一つだと思う。

明日も更新できるといいなぁ~
やっぱり更新できると、その分、学びが自分の中に入ってくる。
例えそれが書いている瞬間だけであっても。

自分が求め、
書く場所がある。
この時代に生きていて良かった。

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