奇跡講座のテキスト。第27章Ⅲすべての象徴を超えて

黄金の季節

今日は「奇跡講座 テキスト編」より27-3 すべての象徴を超えて

何度もベッドに戻ろうかと思う。
「今日は遅く行っても大丈夫だよね。」とささやく声がある。
それを振り切って、早く出勤することのメリットを考える。

・このブログが書けること、奇跡講座の学びが進むこと。
・仕事を朝から楽に軌道に乗せることができること。

スタッフが入院してからまた最初から読み始めた「7つの習慣」(リンク先は完訳版)を思い出す。
習慣を変えることの難しさがそこにはハッキリと書かれていた。

負けるもんか!(笑)
この仕事とのダブル相乗効果の機会を逃すものか。
来週はもう少し楽に起きてから家を出るまで過ごすことができるでしょうか。
(そうだといいな!)

赦しは、真理が一時的に表象されるための手段である。
補助教具が無意味になって学びが完了するまでの間、聖霊に絵の交換を可能にさせるのが赦しである。
学びのゴールを超えても用途のあるような補助教具は存在しない。
その目標が達成されたとき、それは機能なきものとなる。
しかし学びの期間には、それには用途があり、あなたは今はその用途を恐れているが、いずれ愛するようになる。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-27.III.5:5より

自分が赦しを恐れているのか?
すぐにはピンとこない。
ぞわっとする、などの実感がないから。

でも、少し考えてみると、それを行わないようにするため、
自分がどれだけ日頃、頭を回転させて回避しているかが分かる。
それに気づいたとき「ああ、やはり恐れているんだ」と思う。

恐れているものについての克服が本当に必要であれば、
ぞわっとするものが対象ならば取り組みやすい。
自分が同じことを経験して「ぞわっと」しなくなればいい。

だけど、自我がものすごく上手く恐れを見えないようにしているので、
恐れていることすら気づかなかったり、
克服したと思っていても、問題はそのまま残っていたりする。

それでも、私たちは奇跡講座/コースを学び続けることによって、
恐れの存在や、恐れのしっぽをつかむことができるようになった。
この状況を(観察できること)これからもキープし続けることが大切だ。
いつかはこれが愛に取り替わっていることだろう。

赦しは消滅し、象徴は薄れていく。
かつて目が見ていたもの、耳が聞いていたものは何も残されず、知覚されない。
完全に無限なる力が、破壊するのためではなく自らのものを受け取るためにやってきたのである。
選択できる機能はどこにもない。
あなたが失うことを恐れている選択肢は、もとより存在してはいなかった。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-27.III.7:1より

しーんと静まり返っていて、
でも暖かく、
地平線がすっと広がっていて、
心が言葉、形では表現できないもので満たされている。

そんなイメージを思い描く。

昨日自分が行ったこと、思ったこと。
振り返ってみると「またそんな些細な点でつまづいてる・・・」と残念に思うけれども、
動かせるのは、今しかない。
今、自分の心の方向を変えること。

心の動きをチェックし、
方向修正する。
習慣づける。

難しいことに取り組んでいるのは分かる。
挫折しそうになるのも、
休憩したくなるのも。

意欲、
ほんの少しの意欲を持ち続けることができますように。

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