奇跡講座のテキスト。第27章Ⅰ十字架刑の絵

黄金の時間

今日は「奇跡講座 テキスト編」より27-1 十字架刑の絵

新章に入りました!
最後に行き着くまでどれくらいかかるのでしょう~?

奇跡講座/コース自体、一生かけて学ぶものなので、
テキスト編読み終えたからと言って
何か即座に変化するとか、何かを卒業する、ということにはなりません。
だけど、何か新しい一歩を踏み出せる!と思うと楽しみです。
例えば、マニュアル編を読める、とか♪

風邪をひいている状態で今日のセクションを読むと、
考えさせられる部分が多く、学びになりました。

病気になって苦しんでいるあなたは、兄弟の罪悪を表象しているにすぎない。
すなわち、それは彼があなたに負わせた負傷を忘れさせないようにあなたが派遣する証人である、その罪悪から絶対に彼を逃れさせないとあなたは誓っている。
この病んだ哀れな絵は、彼を罰するのに役立ちさえするならと、あなた自身が受け入れているものである。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-27.I.4:3より

病気のときは人から関心を集めやすい。
「こんなにもツライんだよぅ」
ということで、愛情を求めやすいシーンが出来上がる。
同時に相手に罪をなすりつけるのにも役立つ。

今日のセクションを読んでいて気がついたのだけど、
私はどうも風邪になった原因を周囲の人の中に見て、
相手を貶めたかったようだ。

症状が重くなるごとに、相手に恨み言を言いやすくなる。
相手は罪悪感を募らせていく。
あー、しでかしちゃったな、と反省中。

相手が病気のときに、同じように言われたら、
私は愛情を相手に与えようとすることなく、
「私にはその原因がありません」とキッパリと言い、
自分に罪がないことを主張するだろう。

「病気」というものを、
私はこういう風に使っていたのだと理解。

本来はニュートラナルなものだから、
それを見せて相手に罪があることは証明できないものなのに!

今までの自分の思考回路をやっと捕まえることができて、
残念に思うけど、
修正することが可能だとも分かった。

自分がどんな病気の形態に見えようとも、
誰にも罪はないし、
罪があることを肉体を使って証明することもできない。

今や聖霊に触られることによって優しくなった手に、聖霊は異なったあなたの絵を置く。
それは依然として肉体の絵ではある。
なぜなら、あなたの真の本性は見ることも絵にすることもできないからである。
しかし、この肉体は攻撃という目的のために使われたことはなく、したがって、まったく苦痛を被ったこともない。
それは、あなたは傷つけられることがないという永遠の真理を証言し、それ自体を超えて、あなたと彼の両方の無垢性を指し示す。
この絵をあなたの兄弟に見せなさい。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-27.I.5:1より

肉体はニュートラルだということを
自ら発信していかなくては。
それは肉体が病気にならない、ということではなく、
病気になっても兄弟や自分に罪がないという心の発信。

だから病気をもぐら叩きのように治すことが当然、
と考えることに抵抗したんだなぁ。
とは言え、人に罪をなすりつけやすい状況に陥るから、
それを改善することによって、自分から主張が出ないようにする、
という意味でも早く治ったほうがいい、ということも真だけど。

あくまでも自分の心の成長なんだ。
風邪をひいて、外に出ないことによって、今日は聖霊が学びを用意してくれてた。
私の心の中にきちんと根付きますように。
最後に、「アーメン」って入れたい気持ち。

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