奇跡講座のテキスト。第26章Ⅸ彼らが訪れたので

雪原と樹氷

今日は「奇跡講座 テキスト編」より26-9 彼らが訪れたので

爆発して暴れた後は穏やかさ倍増みたいな日が来る。
そんな日曜日。

残念ながら私はまだ2極化の世界にいるので、
その両極端を行き来しています。
そして、口ではなんだかんだ言いながら、
まだまだそれが気に入っていて、手放せません。

そしてまた、あなた自身の救済が、彼の自由とひとつにつながって彼の中で眠っているのだから、その彼がいかに神聖であるか、考えてみなさい!
あなたがどれほど彼が咎められることを望んでも、彼の中には神が居るのである。
神が選んだ家を攻撃し、神の接待主と戦っている間は、あなたは自分の中にも神が居るのを知ることはないだろう。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-26.IX.1:2より

ある日は、この部分に「そうだよなぁ」と思うけど、
爆発日には「絶対に違う!」と全く受け入れられない。

そんな相変わらず揺れている私に奇跡講座/コースが合っているのは、
一貫して同じことを
どの部分、どの冊子(テキスト、ワークブック、マニュアル)でも語り続けるから。

私が受け入れられない状態でも、奇跡講座/コースは変わらない。
あなたがそういうときなら、これはどう?という代替物は出してこない。
その変わらないものが真実で永遠のように思える。

どんなに私が自我に包まれて望んでも、
向き合っている相手の真実は変わらない。
そして、それを受け入れられないときには、
自分についての真実も受け入れることができない。

反対に言えば、私についての真実が受け入れられないから
彼の真実も受け入れられないのだ。

どちらからアプローチしてもいい。
私は家族が一番手っ取り早い難関なので、
そこからアプローチしている。

例えば会社の人でも、友人でも、誰の面からアプローチしても、
真実は変わらないので、到達する場所も変わらない。
ある所で達成できたことを延長していけばいいだけ。

地味だなぁ~(笑)
急にパワーアップ!みたいな派手さが全くない世界。

突然能力を得ても、突然失う可能性も高い。
地道に一つ一つクリアしていけば、全部がクリアできる、という構造。
派手さはないけれど、今までの自分の人生で得たあれこれを考えると、
この方法で獲得するものは、すごく信頼できる。

地上における最も神聖な場所とは、往古の憎悪が現在の愛となった場所である。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-26.IX.6:1より

一時期、神社とかパワースポットみたいなものに興味があり、訪れてみたりもした。
でも、神の使者シリーズで「どこも同じ」みたいなものを読んで、納得。

自分が意味づけしたいから、そこに意味が付いてしまうのだ。
二元論的な。
神聖な場所があり、邪悪な場所がある、のような。

場所も、体も、空間も、時間もすべてニュートラル。
もちろんお金も。
どこでもいい、病気でも健康でもいい、貧乏でも裕福でもいい。
この世界で起こっているように見えることは、天国にはまったく響かない。

自分のことを考えると、
やっぱり奇跡講座/コースが合う人って少ないかもなぁ、と思う。

私の死生観というのかな、それは、
「消えてなくなって、存在していたことも分からないような形で」というもの。
人の記憶に残らなくていい。
忘れてもらっていい。
墓参りなんかも当然いらないので、墓はいらない。
「ハッキリ思い出せないけど、そんな人がいたような気もするなぁ~」みたいな。

誰かにとっての特別になりたいわけではない。
(とはいいつつ、爆発するのは自我の部分はそれを受け入れてないから)
だから、すべての人が一つのもの、という真理を受け入れられる。
そんな気がする。

奇跡講座/コースを広める気はない。
ただ受け取りたい意志のある人が受け取ればいいだけで、
学習者は淡々と実践していけばいいのだと思う。
神の世界にとっては、50年かかることも、300年かかることも同じなのだから。

聖霊に尋ねて必要なことを行動として起こし、
私は赦しを実践していくだけ。

エラソーなこと言っちゃって、
今日一日ですら、穏やかに過ごせるかどうかは分からないのですが(笑)

眉間にシワ寄せて実践していくのではなく、
日々の中にふっと機会が訪れて、一つずつクリアしていくのでしょう。
そんな世界に、今日もよろしくお願いいたします。

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