奇跡講座のテキスト。第26章Ⅷ救済の即時性

秋風と観覧車

今日は「奇跡講座 テキスト編」より26-8 救済の即時性

仕事がずっと忙しい上に、
秋からスポーツクラブに通い始めたので、
自宅で過ごす時間が短くなり更新が滞るようになった。

何回も何回もこういうシーンに陥って、
そして、ある日
「もうヤダ!こんな生活!すべて投げ出して死にたい!逃避したい!」
バカみたいに同じことの繰り返し。

昨晩もそんなワンパターンの夜で。
残業を終えて、今週は休日出勤しなくていいことから解放された気分になり、
帰宅したらできていた晩ご飯がとてもおいしくて上機嫌だった。

しかし、その後些細な
「私がなぜそのような扱いを受けねばならぬ?」
みたいなことが2~3重なり、自爆(汗)
私が傷つく分、相手がおいしいところを持っていっている。
という概念が何度も頭の中をよぎり、離れない。

「この世界は幻想だし、実際には存在しないし、
こんなことは私へのフック(引っ掛け)にすぎない」
と、何回も奇跡講座/コースの考え方に持っていこうとしても、
どうしても引き戻されてしまう。

いくら格闘しても無駄だと思ったので、
寝ることにした。

起きると変な妄想がまだ残っていたけれども、
昨晩ほど強烈ではない。
ようやく奇跡講座 テキスト編を読む時間ができた。

今日は「救済の即時性」だけど、開いたのは、2セクション前。
奇跡講座のテキスト。第26章Ⅵ定められた夜

何であれこの世界の中にあるもので、良きもので価値があり獲得するための努力に値するとあなたが信じているものは、あなたを傷つけることができ、実際に傷つけるだろう。
それ自体に傷つける力があるからではなく、それが幻想にすぎないことをあなたが否定し、それを実在のものにしてしまったからに他ならない。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-26.VI.1:1より

その通りだ。
私がこれを現実だと望んでいるだけなんだ。
神や聖霊の視点から見ると、存在していないのに!
ようやく我に返った。

と、同時にまたいつもの
「やっぱり更新を滞らせちゃダメだし、自分の現状を過信するのもダメ」
という思いに至った。

いつものことだ。
まったく学習能力がない。
そしていつも継続の意志が弱い。
と、軽く反省しておく。

今日の「26-8 救済の即時性」では、時間と空間について説明があり、
概念的には理解できて、面白いな、と思った。

あなたに残っている唯一の問題は、あなたが自分が赦すときと兄弟を信頼することの恩恵を自分が受け取るときとの間に、時間差を見ているということである。
このことは、あなたが自分と兄弟が少し離れていられるようにと、互いの間に保持しようとしている少しのものを、反映しているにすぎない。
なぜなら、時間と空間は、異なった形をとる同一の幻想だからである。
それがあなたの外に投影されていれば、あなたはそれを時間と考える。
それが実際に存在するところの近くにもってこられるほど、あなたはそれを空間という観点で考えるようになる。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-26.VIII.1:1より

実感として自分の中でこう捉えることができないのだけど、
何度も反芻していくことで、いつか「あっこういうことか!」と分かるのだろう。
そういう理解がとても遅いので。

あなたが時間を何のためのものとして見ているかということを別にすれば、時間とは肉体と同じように中庸なものである。
もし自分と兄弟との間に依然として少しの空間を残しておきたいと思うなら、あなたは赦しがしばしば与えずにおかれる少しの時間を望むだろう。
これは、赦しがあなたに与えずにおかれるときから与えられるときまでの時間を危険に見せるだけであり、そこで恐怖が正当化される。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-26.VIII.3:7より

肉体がニュートラルなものであることは、
だいぶ自分の中で受け入れられた気がするけれども、
時間や空間についてはまだまだこれから。

即時性というものを受け入れていない。
だから、昨晩もすぐに赦すことができず、今朝まで引きずったのだろう。

何から救い出されるべきかを見るには、時間ではなく、いまだにあなた方の間にあるその小さな空間に目を向けなければならない。
その空間を時間として偽装させてはならない。
そして、それにより、その形が変わって正体が認識できなくなることで、それを温存させてはならない。
今や聖霊の目的はあなたの目的である。
聖霊の幸せもまたあなたの幸せであるべきではないだろうか。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-26.VIII.8:7より

ずっと幸せについて考えている。
幸せになりたいと考えている。
そのためには正しさよりも平安を選ぶ勇気が必要だ。
この世界の尺度から言うと、正しいことは多くの人が正しいと思うので、
平安を基準に考える人は少なく、決定の手段にはならない。

それでも自分の尺度をそこに持ち続けられるか。
日々、実践の中での勉強だなぁ~と思う。

私の中に平安を基軸とする準備が整いますように。
一人でも多くの人の心に平安が訪れますように。

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