奇跡講座のテキスト。第26章Ⅵ定められた夜

夕空

今日は「奇跡講座 テキスト編」より26-6 定められた夜

何であれこの世界の中にあるもので、良きもので価値があり獲得するための努力に値するとあなたが信じているものは、あなたを傷つけることができ、実際に傷つけるだろう。
それ自体に傷つける力があるからではなく、それが幻想にすぎないことをあなたが否定し、それを実在のものにしてしまったからに他ならない。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-26.VI.1:1より

いつもこの言葉が思い出せればいいのに!と思う。
些細なことでカチン!ときたり、努力する必要もないものに没頭して精神的に磨り減ってしまったり。
私の今生はこんなことのためにあるのではないのに!と後から思う。

こうしてゆったりした時間ならば、気づける。
この時間があるだけ、マシなのかもしれないけれど。

人も事柄も、私を傷つける力は持たない。
人間関係の愚痴を聞いたとしても、私は傷ついていないし、
それによって、予定が思うとおりにこなせなかったとしても、私は傷つかなくてもいい。

優先順位は何なのか。
それは兄弟を赦すことであり、愛を与えること。
この世界で何か成すことが一番重要なのではない。

奇跡講座/コースに戻ってくると、あんなにイライラしていたことが、
「バカみたい!」とサラリと自分について反省できる。
ただ真理から離れてしまっていただけ。

身近な尊敬を集めている人で、真理の側面を日常会話でさりげなく話す人がいる。
例えば先日は
「相手はあなたの鏡であって、相手の中に悪い原因があるのではない」
ということを話していた。

いやぁ、すごいな。
そういうことを話しているたびに思う。

私は自分の中で実践はしているけれども、
周囲に対して真理について話をすることはない。
この人たちからは求められていない、と感じるからだ。

私が実践していれば、周囲の人のレベルアップを図ろうと努力しなくてもいい。
レベルアップしたい人は自分からつかみに来るだろう、と思うから。

そもそも私自身が奇跡講座/コースの学習者として初心者であり、
まだまだ心の平安から程遠いのだから。
誰かに何かを言うよりも、まずは自分が自分に言うことが大切だ。

自分が好む幻想はもち続けるという選択をしながら、真理だけが与えることのできる安全を見つけられる者がいるだろうか。
幻想はどれも同じだと信じていながら、それでもその中の一つが一番良いと主張できる者がいるだろうか。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-26.VI.1:8より

最近私につきまとうのが「会社やめたい」。
そう言いながらも、結局は出勤するのだけど、
やめたいと思う理由から、なかなか抜け出せない。

だけど、奇跡講座/コースと共に進んでいれば、ちっとも問題はない。
やめたいと思う理由自体が幻想だと、ハッキリと分かるから。
幻想を現実に起こっていると思い込んで、それを理由にそこから離れたいと思っているのは私なのだから。

もちろん聖霊がやめるように、と言うのであればやめても問題はない。
どんな環境であれ、同じことしか起こらないのだ。
今日も軽やかに心穏やかに、私も兄弟たちも過ごせますように。

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