奇跡講座のテキスト。第26章Ⅰ一体性の「犠牲」

ある道

今日は「奇跡講座 テキスト編」より26-1 一体性の「犠牲」

今日から新章。
とは言っても、やることは今までと変わらない。

とにかく私の自我はさぼることが大好きで、隙あらばこの考え方から逃げて、
今までずっと続けていた自分の思考回路に落ち着こうとする。
それを「おいおい、どこをさまよっているんだい?」と
明るい場所に引っ張りだしてきて、解放する。

今年の頭から「教えを乞うてみるか」と出向いていた神道系の先生から離れることにした。
今までの自分のスピ道の中になかった分野なので、周囲のすすめからであり、
ちょっとした興味本位で通っていた。

最初から「決定的に道が違うことが分かるまで」と思っていて、
先日うかがった際に、目指している道とは違ういうことが分かった。

その道を否定するわけでは、もちろんない。
心の平穏を求めるために様々なルートがあり、
人それぞれに選ぶ道が違っていて良い。

ハッキリ言ってしまうけれども、
私が一番この世界に引き寄せられてしまう要因、それはお金。
「無償の愛とか言っても、少しくらいのお金はないと困るでしょ!」
それが私をこの世界に結びつけるための口説き文句だ。

家族や周囲に対する気持ちは私の問題であり、
その人がどういう形で存在してもまったく影響はしない。
この世界の常識だからといって、それを押し付けるのは、
相手が苦痛を感じるなら、この世界の犠牲者になれ、と言っていることだ。

この世界の目を使う限り、
私は誰のことも本当に知ることはできない。
どんなにスピリチュアルなことに長けている先人であっても、
この世界の目を通してみている限り、奇跡講座/コースとは違った道筋になる。

お金を選ばなかったことで、私は将来苦労するのだろう。
今、少し恐怖感があるから、その分、自我がおびえているのだと思う。
将来の時点で、今の決断を後悔するかもしれない。
だけど、私は軽やかに、こちら側の決断を選ぼう。

肉体が囲い取るわずかなものが自己となり、他のすべてを犠牲にすることによってその自己が温存される。
そして、他のすべてはこのわずかな部分を失わなければならず、この部分は自らのアイデンティティーをそのまま保とうとして、不完全であり続ける。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-26.I.3:1より

アイデンティティー。
以前はこればかり大切にしていた。
人との違いが自分の価値をあげることだと。
そのために、不必要な犠牲を払ったり、周囲に強いたりしてきた。

アイデンティティーを保つ必要はない。
「私にはコレしかないのに、コレまでも取り上げるのか!」と
奇跡講座/コースの学習開始直後は大きな抵抗があった。
アイデンティティーを持つことが、存在価値であり、意義だと勘違いしていたから。
「私に何も残らなくなる!」とかたくなに拒否し続けていた。

今はこの部分を読むと、肩の力が抜け、より安堵感が増す。
もう「私」という部分に固執せずにすむのだ。
守らなくていい。

幻想ではなく真理を証する証人を見たい者たちは、ただ、この世界の中に、それに意味を与えて有意義なものにする一つの目的が見られるようにと、求めるだけである。
あなたの特別な機能がなければ、この世界はあなたにとって何の意味もない。
しかしそれは、天国そのものと同じほど豊かで無限の宝庫ともなり得る。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-26.I.5:1より

この世界は使いよう。
十分分かっているつもりなのに、つい誘惑に負けてしまう。
それを必要以上に責めず、ゆるやかに正しい道へと自分自身を導いていく。
誰かを育てることと同じ方法で自分を育てていく。

ほんの少しの意欲とは、こういうことなんだな、と思う。
決して諦めない。
だけど、まだまだその意志は力強くはない。
風に揺られる柳のように不安定に見えるけれども、風がやめば元の位置に戻ればいい。
今はようやくその戻る位置を見つけた状態であり、芯を強くしていくのはこれからなのだ。

今日も愛と犠牲を取り違えることがありませんように。
誤った選択をすれば、時間を置いてもそれを正すことができますように。

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