奇跡講座のテキスト。第25章Ⅸ天国の正義

神だのみ

今日は「奇跡講座 テキスト編」より25-9 天国の正義

思いっきり落ち込んで、もう出てきたくない気持ち。
引きこもりになりたい。
泣きたい。

心の片隅には聖霊がいて、奇跡講座/コースがあって。
私がそもそもこんな気持ちになるのは無意味だということがうっすらと分かる。

だから、このままスッキリ心を落ち着ければいいのだけれど、
自我の声が
「この状況から脱出すると、周囲から愛情を引き出せない、
私には愛情をもっとかけてもらうことが必要だし、
それが当然だ」と主張してくる。

先ほどまで、これらの波が心の中で交互にやってきて、
まったく落ち着かなかったのだけれど、
この場があって良かった。

書き出してみたら、
正反対でまったく相手に同調しない自我と聖霊っぽいサイドのやりとりが分かり、
その双方のぐるぐるエンドレスなやり取りに終止符を打つことができそう。

ほんの10分前まで、すべて投げ出して、
もう死んでしまいたい、というところに陥っていたのが、
まだ仏頂面だけど、心は落ち着いてきている。
もう少しこの世界で学び続けられる、と思える状態に。

よかった。
本当に。

聖霊がいつも一緒にいて、
奇跡講座/コースに出会えてよかったと思う瞬間だ。
以前の私なら、この自我サイドの気持ちで、最低1~2日、ひどいときは1週間、
与えてくれない周囲を責める気持ちでいたことだろう。

見ないふりをするのではない。
見て、向かい合って、つぶさに自分の心の動きを観察し、
相手を解放し、自分の心を解放していく作業なのだ。

私はまた、相手が自分からずっと奪い続けている、
という妄想に陥りそうになっていた。
何においても、何も奪われていない。

私は人を真に愛する、
というたった一つのことを学ぶために生まれてきたのだなぁ、と思う。
それだけのために生まれてきたのだから、
それが簡単なことではないのは確かだ。

聖霊が問題を解決するとき、その答えは常に、誰も損失を被ることのない答えであると確信していなさい。
聖霊は誰にも犠牲を求めないのだから、これは間違いなく真実のはずである。
ほんの僅かでも誰かに損失を要求する答えは、問題を解決したのではなく、問題をつけ加えて大きくしたのであり、その問題をさらに解決困難なもの、より不公平なものにしたのである。
聖霊が不公平であることを回答と見なすことはあり得ない。
聖霊にとっては、不公平であるものは、まさにそれが不公平であるからこそ、訂正されなければならない。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-25.IX.3:1より

自分の気持ちが誰かを責めたい方向に傾いたとき、
以前ならば「ねぇねぇ聞いて、信じられないよね、この人の考え方!」みたいに、
周囲に愚痴をもらして、いかに自分が同意を得られるか、で落ち着いていたけど、
今はその最初のアクションからして違う。

まず、自分の心が不安定で、平穏の中にないことに気づく。
自我の自分勝手なわめき声を聞き取る。
聖霊の声、または奇跡講座/コースの世界に照らし合わせる。
落ち着く、というステップ。

今日良かったのは、自我がわめき出したときに、
ゆったり対応できる時間が取れたこと。

静かな場所で奇跡講座 テキスト編を開き、今日のセクションを読む。
すると「ほんの僅かでも誰かに損失を要求する答えは、問題を解決したのではなく、問題をつけ加えて大きくしたのであり」とあり、
自分が相手に「当然の要求」だと思っていたことは間違いだと分かった。

この世界は、解決というものを、誰が勝利し、誰が敗北するかが決まる状態であり、そして勝者の取り分と敗者がそれに対抗してどれだけ手元に残せるかが決まる状態と見る。
しかし、問題は依然として解決されないままである。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-25.IX.4:5より

相手が楽をして、自分よりも多く取り分を取ってると感じると、私は未だに腹がたつ。
それが、私から奪い取られている感覚があると、なおさらだ。
どうやって、相手をぺしゃんこにこらしめて、取り戻そうかと考える。

今生だけの問題ではなく、
神から離れてしまった(と思い込んだ)ときから、そう考えているのだろう。
それが大きな転換点を迎えようとしている。
すぐに変更できなくて当然なのだ。

聖霊の問題解決こそが、問題を終わらせるやり方である。
問題は正義と出会ってはじめて解決される。
そうなるまで問題は繰り返し生じる。
それはまだ解決されていないからである。
「正義とは誰も敗北しないことを意味する」という原理は、このコースにとって決定的に重要である。
なぜなら、奇跡は正義を拠り所とするからである。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-25.IX.5:1より

今日の私の状況に対して、
奇跡講座/コースは何回も繰り返し、それが間違っているし、
誤った決断をしないようにと文章から語りかけてくる。

何度も外れそうになりながら、
まだこの道の上に乗っかっているのは、聖霊のおかげだと思う。
現状の私にとっては、この道に残れていることがすでに奇跡のように感じている。

心の真の平安を自分で取り戻す手段を、
今日も多くの人が得ることができますように。

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