奇跡講座のテキスト。第25章Ⅰ真理への絆

うつくしさ。

今日は「奇跡講座 テキスト編」より25-1 真理への絆

奇跡講座 テキスト編をパタンと閉じて、眺めてみる。
あと1/4程度。

ワークブック編やってたときも思ったけれども、読むだけでは何にも変わらない。
読んで、自然と、この考え方が自分から流れ出るくらいまで、実践して染み込ませなくては。

それは、読む時間よりも、もっと長い時間がかかり、脱落しそうになることも多い。
本を読むことは、その実践の縮小版みたいなもので、ここでも読み進める困難が伴う。

一難去って、また一難。

私は常に落ちこぼれそうな位置にいるので、いつもギリギリこの道と繋がっている。
だけど、そんな私でも「諦めない」。
たったそれだけの意欲だけれども、いつかは振り返って、すべてが輝きに満ちているように見える地点にたどり着けるに違いない。

奇跡講座 テキスト編が終わったら、マニュアル編に進もうかと思っている。
マニュアル編は、今まで一回も読んだことがないので楽しみ。

ワークブック編をやっていたときは、1年で悟れると思ってた、わりと本気で。
そして気がつけば、ACIMに触れてからずいぶんと年月がたっていることに気がつく。

だけど、道はまだまだ遠そう。
ただ学びがあるだけで、敷かれている年月は関係ない。
そういう気持ちになる。

自分が肉体の中に居ると信じている者は、そう信じている間、キリストが存在することのできない場所に自分が居ると考える。
したがって、彼は自分がキリストを運んでいることを知らず、彼を顕現させることはない。
そうして彼は、キリストが居る場所でキリストを認識しない。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-25.序.2:3より

肉体という阻んでいるものを外せば、
誰もがキリストを内包して、運び続けている。
誰もが、例外なく。

だけど、特別性を肉体に求める私たちには、それが見えない。
そんなに清らかで聖なるものをすべての人が持っているところが見えないというのは、
なんと寂しいことであり、残念なことだろう!

それが見えれば、すべての人を赦せるのに!と思うけれども、
これは卵とニワトリの話みたいなもので、赦した後に見えるもの。
自然と現れるものではなく、私たち、自分の側が求めた先に見えるもの。

肉体は、キリストのことを知らない人々のもとへ、彼らの心を癒すために、優しさと愛の中でキリストを運んでいくようになる。
それが、兄弟があなたのために担っている使命である。
そして、あなたが兄弟のために担っている使命も、そうしたもののはずである。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-25.序.2:3より

奇跡講座/コースを学んでいると、
今まで何となく使命と思っていたものは、
迷走している私が、全然違うところに設定したものだったと思う。

もっともらしく、魅力的ではあった。
でも、目指していると、心のどこかが「違う」と囁いているような気がしていた。
それは達成できないから、ではない。

ここにある使命は、遂行することが難しいけれども、
「これだな」と確信がある。
私の心が穏やかになる近道。
心が波立つときに、どれだけ自分に対してダメージがあるのかが分かるようになってきた今、なおさらそうだと思う。

キリストがあなたに命じた任務を遂行するのが難しいということは、あり得ない。
なぜなら、それを行うのはキリストに他ならないからである。
そしてあなたは、それを行っていくうちに、肉体とは、そのための手段であるかに見えるだけのものだということを学ぶだろう。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-25.I.1:1より

難しい、と話していて、
その直後に「そんなことはあり得ない」と出てくることに苦笑する。
私がキリストに明け渡していないから、聖霊を拒否しているから難しいと感じているだけ。
不安や恐れを手放してしまえば、それはごくごく簡単にいつも遂行されていくのだろう。
私はまだ、特別性を目指す「自我」を手放したくないのだ。

知覚はあなたに、あなたが望む通りの自分を見せる。
そしてそれは常にあなたの目的に忠実であり、決してそこから離れない。
また、あなたの心の中の目的が支持していないものを少しでも証しすることはない。
知覚は、あなたが見るということの目的としているものの一部である。
なぜなら、手段と目的は決して分離していないからである。
こうしてあなたは、分離した生命をもっているかに見えるものに何の生命もないということを学ぶ。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-25.I.3:3より

何度も何度も同じ内容を、別の表現で言い聞かされる。
私が見たいものを見ているだけなのであって、
見たいものを選択する権利は私にあるのだ、と。

肉体を通して見える特別性を重んじているから、
私には分離の世界が見えている。
分離の時代から統合の時代に入った、とスピリチュアルな世界では騒いでいたけど、
誰かが流れを変えてくれるのではない。

自分の見方が世界を変える。
だから、やりがいがあり、面白いのだ。
そこに、私の意志が介在していくのだ。

今日も一緒に分離の時代から統合の時代へと、
自分が主人公となって、意志の方向を定めていきましょう。

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