奇跡講座のテキスト。第23章Ⅱ混沌の法則

急に雨雲が・・・

今日は「奇跡講座 テキスト編」より23-2 混沌の法則

昨日疑問に思っていたことが、
今日のセクションでかなり書かれていて納得。
やっぱり少しずつでも読むに限るなぁ~と、心に余裕のある時は思います。

心に余裕があるっていうのは、
私の場合は「時間がある」という状態なんですが、
これも実は幻想なんですよね。。。

今日のセクションは最初に長さを確かめて
「うっわー、今日は最後までたどり着けるか!?」
(長いと途中で寝てしまったり「やるべき用事」が入って最後まで行き着きません。)
しかし、意外に面白いし、自分の感覚を改めて確かめられる良いセクションでした。

この原理は、幻想には順位があるという信念から派生している。
すなわち、或る幻想は他より価値があるので真実だという信念である。
誰もがこれを自分自身で定めており、他人が価値を置くものを攻撃することにより、自分の定めた順位を真実とする。
そしてそうした攻撃は正当化される。
その理由は、価値観は多様であり、さまざまな価値観をもつ者たちは同じでないので敵のように見えるからである。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-23.II.2:3より

確かにそうだなぁ、と思う。
幻想は幻想であり、どれも無なのに。
たとえば私が今、もっとも価値があると思っていることは、生きていること。
二番目がお金があること。
だからそれを奪う/奪われることに対して、心がザワつく。

これが幻想の間に真実性の段階を設けるので、幻想の中でも或るものは他のものよりも克服するのが難しいかのように見せている。
幻想はすべて同じであり、等しく真実でないとわかれば、奇跡がそれらすべてに適用されると理解するのは容易である。
いかなる種類の誤りでも訂正することができる理由は、まさにそれらが真実ではないからである。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-23.II.3:2より

自分の中の価値順位があるので、
電車で自分の目の前の席が空いて座ろうとしたら、後ろの人が座ったことは赦せるけど、
自分が殺されそうになることは赦せない、と思うのだ。
克服は難しいし、自分の中の順位付けでは最上級の価値の部分にあることだから、
相手を赦さなくてもいいと思ってしまう。
そして兄弟と分離への道をたどる。

詐欺に遭うことも、成立しかけた商談を横入りで取られることも、
私にとってはお金に関することなので、
他の出来事よりも赦しがたい。

でも、それらもすべては真実ではない。
真実ではないので「いかなる種類の誤りでも訂正することができる」が適用できる。

天国の外に生命はない。
生命は、神が生命を創造した場所にあるはずである。
天国から離れた状態においては、生命は幻想である。
最善の場合でも、それは生命のように見えるだけであり、最悪の場合は、死のように見える。
しかし、そのどちらも、生命ではないものに下した判断であり、不正確で意味がないという点においては同じである。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-23.II.19:1より

この部分、本当に今日読めてよかった!
「生」と思っている状態の正反対にある、私が「死」と思っているものは、
実は死ではなく、意味のないものという点。

だから、私が一番価値を置く「人に殺されることは赦すべきことではない」ということも、
簡単に誤りだった、という決定が下される。
あまりにも自分が真実だと思っていたことが違うといわれるのだから、
この教えが受け入れられない(受け入れられにくい)のは当然だろう。

もちろん人殺しを正当化するものではない。
心で兄弟を攻撃しているのであれば、
それはいかなるものでも、真実に基づくと誤りであるとみなされる。

そして重要なのは、奇跡講座/コースでは、
心による攻撃は、いかなる形をとっていても、
殺人と同レベルだとみなされるということ。

そして、階段は確実に続いていく。
どのような形で為されたものであれ、攻撃はすべて、天国から下降する曲がりくねった階段に、あなたが踏み出す一歩となってきた。
だが、どの瞬間にも、これらすべてを取り消してもらうことが可能である。
それではどうすれば、自分が天国に上る階段を選んだのか、地獄へ下る道を選んだのかがわかるのだろうか。
それはきわめて簡単である。
あなたはどのように感じているだろうか。
平安を自覚しているだろうか。
自分がどちらの道を進んでいるのか確信があるだろうか。
天国というゴールは達成可能だと、あなたは確信しているだろうか。
中央アート出版社)奇跡講座 テキスト編T-23.II.22:3より

引用が少し長くなってしまいました。
地獄へと近づく階段は確実に下へと伸びており、
攻撃によって、一歩ずつ、私たちはそれに近づくことになる。

だけど、一歩ずつ下りていくことも可能であれば、
一歩ずつ上っていくことも可能。

最初は天国が遠くにあるように見えすぎて、
上る一段の段差が厳しく感じるのだろう。
下るのは、あんなにも簡単なのに!
(まさに太るのは簡単なのに、やせるのは難しい!みたいなイメージだな(笑))

平安を自覚できるか。
天国を達成可能なゴールとして、自分の中に目標を掲げているか。

私たちの心が平安で満たされますように。
下降への一歩を踏み出しそうなときには、天国のことを思い出せますように。

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