奇跡講座のテキスト。第22章Ⅵ神聖な関係の光

素朴なもの、小さなもの

今日は「奇跡講座 テキスト編」より22-6神聖な関係の光

昨日、友人の悩み話を聞いていた。
ある会員制サークルの集まりで、
以前は仲良かった人から不当な扱いを受けるようになり、
今では集中攻撃の対象となっている。

その人と顔を合わせるのはイヤで、別の時間帯に行くようになったが、
悪いのは、どう考えても相手であって、
彼女の「いじめ体質」のはけ口になっている自分ではない。

サークルの主催元に彼女をやめさせてほしいと訴えているが、
主催元の腰が重く、なかなか順調に物事が運ばない。

彼女がサークルからいなくなればいいのに!
どうして不当な扱いを受けている自分が彼女から逃げるように
別の時間帯に行かなくてはならないのか、
どうして自分だけが我慢し続けなくてはいけないのか。

彼女の行動は周囲から見ても目に余るものだと思うのに、
自分だけがイヤな思いをさせられ、
行動時間を制限されているのは納得がいかない。

お金を払って会員制サークルに通っているのだから、
彼女を早く主催元がやめさせてくれないだろうか!
(もちろん彼女もお金を払って通っているのですが・・・)

・・・と、こういった内容でした。
スピ的な道(ACIMではありません)を歩んだ経験もある人ですが、
その方の憤りが激しく、
これは何を言っても無駄だなぁ~と思い、
話を聞くに留め、特にアドバイスはしませんでした。

この世界の話的に考えると、私は
「お金払ってまで、いじめられに行く必要はないのではないか?」
と単純に思いましたが、その方にとっては
「お金を払っているからこそ、私は好きなサークルに行く権利があり、彼女がそれを奪うことが許せない」そうです。

直接的な攻撃することを避ける方向を選ぶその人に、
「じゃあ、彼女と同じように、あなたも彼女の悪口を言って、彼女を居心地悪くさせたら?」と言いました。
「それで【おあいこ】じゃん!」と。
すると友人は
「そんなことすれば、彼女と同じレベルの人間になってしまう!私は彼女とは違うんです!」
と、なんだか怒ったように返答してきました。

冷静にまったくその輪の外から眺めている私からすれば、
彼女のひっかけている罠に、まんまと友人がひっかかっているだけで、
それで怒って声を荒げているという、この時点で彼女と同レベルだと分かります。

そこを超えて、彼女に愛を向けたり、優しくしたり、赦したりすることが
友人の課題なのだろうなぁ~と。
それができると、確実に友人は新たなレベルに上れるのだろうし、
彼女から何を言われても、されても、愛を持って受け止めることができます。

こんなエラソーなこと言っている私も、
友人同様の罠におちいることは多々あります。
だから、今回、友人が話してくれたことが、
私にとって自分を客観視する視点を作ってくれたことになり、
友人の私に対する深い愛情に感謝せざるを得ないのです。

友人のように、争いごとに正面からぶつかる人も、
私のように、争いごとから徹底的に逃げ続ける人も、
真実をみつめず、正しい対処をしていないということでは全く同じです。

休みの日に
「人と繋がるのがとにかく面倒くさいから(良い関係も悪い関係も)
もうずっと休みで、引きこもり生活でいい!
誰にも会わない!猫と家族だけでいい!」
と思う自分は、本当に真実や自由を求めているのだろうか、疑問です。

あなたも、あなたの兄弟も、ひとりではまったく役に立たない。
あなたと兄弟の合一した意志の中にのみ、癒しがある。
ここにあなたの癒しがあり、ここであなたは贖罪を受け入れるからである。
そして、あなたと兄弟の意志が合一したからこそ、あなたの癒しの中で一なる子が癒されるのである。
奇跡講座 テキスト編T-22.VI.4より

もっと楽に悟れる世界はないのかなぁ~
なんてバカなことを考えてみたりしますが、
奇跡講座/コースの方法にのっとることが一番の近道ならば、
私にはこれ以外の選択肢はないのだと思います。

ありがたいことに、
仕事を捨てて、ひきこもりになることは許されない状況です。
ならば、イヤイヤ家をでるのではなく、
悟りへの道のために、今日も経験を積ませていただこう!
と思えれば、足取りは軽くなるのでしょうけど、
相変わらず、そこにもまだまだ達していません。

いかなる誤りも例外とせず、何も隠されたままにしない完全な赦しのまなざしで、あなたが兄弟を見つめたとき、あなたに看過できないような間違いが、いったいどこにあるだろう。
どのような形の苦しみがあなたの視界を遮り、あなたがそれを通り越して見るのを妨げることができるだろう。
そして、あなたが間違いであると認識しないような幻想があり得るだろうか。
あなたはそれを一つの影と認識し、まったくうろたえることなく歩いて通り抜けるだろう。
奇跡講座 テキスト編T-22.VI.7より

昨日、神道系の先生と話していて、
私が今生でこういう道に興味を持ち、そちらに進んでしまうのは、
前回、死に際に強い誓いを立てたからだろう、と言われました。

だから、今生は正しくても、正しくなくても
これを達成するということに縛られ続けるけれど、
きっと本当に大切なことは、その縛りが解けた先にあることだと話されました。

もちろん、先生も私よりも少し先を歩いているとはいえ、同様の傾向があり、
仕事と、自分の本当に目指したい方向が一致せず、
それが一致している人がうらやましい、と。

毎日、泣いたり笑ったり怒ったりだけでも面倒くさいのに、
その部分にコミットするように誓ってきちゃった自分。

完全に目が覚めているか、
完全に眠っていられれば一番楽なのに、
いつまでたっても中間地点にしかいられないのが、歯がゆい。

一つの救いは、
神道系の先生もその一人だけど、似たような位置づけの人が世の中には居て、
友人として、その人も自分のことでつらいのに、励ましてくれるということ。

本当は誰からも離れていないから、
一人ぼっちなんて、不可能なんだけど、
いまだ幻想しか見れない目で見る選択を続けているようなので、
今は、そういう人たちの存在に助けられています。

何のために、今、この瞬間を感じることを選択しているのか。
ほんと、ため息しかでませんが、
兄弟たちとのかかわりを通して、
自分と兄弟たちを解放することを続けようと思います。

ここを読んでくれるような人が存在していることは、
私の大きな支えになっています。
いつも心を砕いて下さり、ありがとうございます。

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