奇跡講座のテキスト。第22章Ⅴ弱さと防衛の姿勢

雨模様

今日は「奇跡講座 テキスト編」より22-5弱さと防衛の姿勢

W杯が始まってから、更新はやはり無理でした。
すっかりこの幻想の世界を楽しんでいました。
こういうときも私にとっては、必要な時間とされているのだと思うことにしています。
奇跡講座/コースを学び続けることの裏に罪悪感があるのはおかしいから。

学ばなくてはならない、
ブログを毎日更新しなくてはならない。
それができなかった場合、私は自分をダメ人間とか、ものごとを続けられない人間、
目指すものが分かっているのに、寄り道をしたがる人間。
-とか、自分で自分を責める材料にするでしょうけど、その必要はありません。

そういう時に「神の使者」のパーサの言葉を思い出します。

最後の生で、わたしは43才から84歳までの41年間コースを勉強しました。でも悟りというか復活は身体から抜け出す11年前に起こったの。
神の使者より

パーサですら、41年間学んだのです!
しかもネタバレごめんなさいですが、
パーサはイエスから信頼されていた使徒の一人であり、ゲイリー氏です!
そんな人が41年間にわたって、コツコツと学んでいるのです。
しかも、今の時代ではなく、もっと(多分)スピ的なものが容認されている未来において。

もちろん私もおやすみせずに、毎日コツコツした方が良いのは分かります。
が、できなかったからといって、自分を責める必要はない。

W杯中、ブログはかけそうもない気がしたので、
時間が少しありそうなときには、
奇跡講座 テキスト編ではなく、天国から離れてを読み進めました。
その中でも、ACIM3部作を本としてこの世界に出現させてくれたヘレンとビルが、
私たちと同じような自我を持っていて、二人とも対応に苦労していたことが分かります。

自我を一気にクリアな状態に近づけようとすると、大きな抵抗に合い、
命を奪われる寸前のところまでいってしまうのではないかと思います。
だからこそ、おやすみしながらも「続ける」ことが大切で、
続けることによって、少しずつ自我をクリアにしていく必要があるのでしょう。

重たく頑丈で不動なものとして、あなたと兄弟の間に介在しているように見えないものは一つもない。
そしてどれ一つとして、真理が軽く通り過ぎていけないものはなく、あまりに容易に通過できるので、あなたは以前それをどのように考えていたとしても、それが無であることを確信せずにはいられなくなる。
あなたが兄弟を赦すなら、必ずこのようになる。
なぜなら、それを貫通不可能であるように見せ、その不動性という幻想を防衛しているのは、自分と兄弟の間に介在するように見えるものを見過ごしたくないというあなたの気持ちだからである。
奇跡講座 テキスト編T-22.V.6より

ソーシャルゲームをしていて、その中でトレード機能というものがあります。
掲示板を使って、求めるものと、出すものが一致した場合、
まったく知らない人にトレードを申し込み、成立すると実際にアイテムをトレードします。

今朝、私はそこで自分の希望に合う人を見つけて、トレードを申し込みました。
トレード条件には先着順と書かれていて、私が一番最初の申し込みでした。
時間がたっても、トレード開始されないので状況を確認すると、私のトレードは意図的に却下されていました。
その際に、私には断りなど(「他の方とトレードしますので却下します」)もありませんでした。
そして、私より後に申し込んだ別の方と、同条件でのトレードを実施されていました。

日常茶飯事にトレードを行っていますが、
お断りなく却下されたことはありませんでした。
先着順と条件にあったにもかかわらず、別の方を優先された理由も分かりませんでした。
2重の理由で、私はイラ立ちました。

1. 先着順については明らかに条件違反なので、相手を責める
2. 他の方ができている常識的行為と、トレードでの条件違反の両方について相手を責める
1か2か、そして、責める方法は?

5分くらいあれこれ考えて、
表面的には誰にも話さず、相手にも怒りのコメントをいれず、
自分のブラックリストに相手を載せて今後はトレード相手からははずす。
・・・という一番穏便そうに見える手段を選びました。

二度寝をしようとして、ベッドに横たわっても、まだ少し怒りが残っていました。
そこで、奇跡講座/コースのことを思い出しました。

「あ!誤りを見過ごさなくては。
この世界はないし、兄弟に罪はなく、私と全一の存在なのだから。」

一番穏便そうな手段に見えても、
真実の世界を前にしては「過ちを見過ごすか、見過ごさないか」しかありません。
殆どは見過ごすけど、ちょっとだけ責める、ということは存在していないのです。

その瞬間、なんだか気持ちが楽になったような気がします。
二度寝からさめて、トレード相手をブラックリストから解除しました。

相手が何かをする、のではなく、
私が相手を赦すかどうか、しかない、のですから。

兄弟を裁こうとする気持ちは、先ほどの引用の中にあった
「自分と兄弟の間に介在するように見えるものを見過ごしたくないというあなたの気持ち」です。

今日も聖霊が私たちを優しく、本当の視覚を使えるように導いて下さいますように。
罪と誤りを混同せず、愛に満ちた一日を送ることができますように。

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